カジノ、そしてエンターテイメントの街、ラスベガス。
眠らない街ラスベガス、いや眠らせてくれない街、それがラスベガスかもしれない。
世界中から観光客が訪れ、その数はハワイの5倍とも言われている。
そんなラスベガスも今から100年ほど前は殆ど人がいないただの砂漠だった。
このラスベガスに人が集まりだしたのは「フーバーダムの建設」が始まった1931年。
大恐慌下のアメリカは、ニューディール政策の一環としてフーバーダムを建設して
失業者に雇用の機会を与えようとした。
労働者たちが多く集まり、飲酒、ギャンブルなどが解禁となり少しずつこの街が栄え始めた。
1935年、黒部ダムの10倍もある大きさのフーバーダムが完成し、
水の確保や電力供給できるようになったが、まだこの時点ではラスベガスは2万人程度の人口しかなかった。
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この時期、そんな砂漠の中の町にリゾートホテルの建設を思いついたのが
ニューヨークのマフィアのベンジャミン・シーゲル(Benjamin.Siegel)、
またの名をバグジー(Bugsy)だった。
彼は当時西海岸統括を命令され西に渡ってきていた。
1944年、彼は今のストリップにカジノにホテルを併設したリゾートホテルの建設を開始。
当時では想像もできないような大きさ、そしてプールや乗馬クラブ、射撃場、
そしてゴルフ場まで備えるゴージャスなホテルをイメージして建設をするものの、
彼がこのイメージの妥協を許さず建設資金は予定を大きく上回ることになる。
それらの資金はもちろんマフィアから拠出されていたため
組織からはかなりの批判を浴びることになる
2年後の1946年12月26日、バグジーの恋人の愛称から名づけた「フラミンゴ」がオープン。
盛大なオープニングパーティーのために著名人たちを多く招待していたものの、
この日は大雨が降りチャーター便も欠航となってしまい、
招待客が到着しない状況で寂しいオープニングとなってしまった。
その後ホテルは経営不振に陥いり一時休業。
巨大な損失を出したバグジーを組織は黙っているはずがなかった。
営業再開はしたもののその後も赤字が続き更にバグジーの立場はまずくなった。
1947年、そのバグジーはビバリーヒルズの自宅で何者かに殺される。
皮肉にもこのフラミンゴは彼の死後に大賑わいとなり、
その後次々と同様のホテルの建設が始まった。このことは映画「バグジー」にもなっている。
また、バグジーが建設した「フラミンゴ」は何人もの手に渡り今はヒルトン傘下の
「フラミンゴ・ヒルトン」になっている。
残念ながら1993年に当時の建物は取り壊され新築されてしまった。
バグジー及びマフィアが手がけたカジノの街、ラスベガス。
その後カジノの収益がマフィアの資金源となり、ラスベガスがマフィアと深く繋がりを持つ街となった。
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1966年、そんなラスベガスに航空・映画産業の一大グループを築き上げた
大富豪ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)がやってきた。
すでに強迫性障害を持っており人と会うことを嫌う彼は
デザートインのスイートルームで生活を始めた。
彼はTWA航空を5億ドルのキャッシュで売却した税金対策として、
カジノ&ホテル、航空会社、空港、テレビ局、ラスベガス近郊の鉱山、
ありとあらゆる物をそのスイートルームから電話一本で買収したという。
ホテル側は長期で滞在する彼に部屋を移るよう申し入れると、
なんとデザートインをホテルごと買い取ってしまったという。
約4年間彼は電話だけでラスベガス一帯の買収を続けた。
すでにラスベガスの殆どが彼のもの。
そして実業家らしく政治家との人脈を使って、カジノライセンス法を改正し
企業のカジノ参入を促すことにある。
企業のカジノ参入や彼の買収などで、ホテル側も次第にマフィアとの手を切っていった。
政府のマフィア撲滅運動も手伝ってマフィアが居づらいラスベガスに
徐々に変化していくことになる。マフィアが去っていくラスベガスに企業が進出し、
更にホテルが建設されクリーンなラスベガスが誕生し始めることになる。
このハワード・ヒューズの生涯は映画「アビエーター」でレオナルド・ディカプリオが演じている。
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現在のラスベガスはカジノの街でもあり、エンターテイメントの街でもある。
そんなラスベガスを築いてきたのは今や「ミスター・ラスベガス」とも言われる
スティープ・ウィン(Steve Wynn)。
まだ若かったスティーブ・ウィンは、当時持っていたホテルの株が
このヒューズの買収によって4倍もの価値に跳ね上がり、
その収益を元手に若干31歳でラスベガスのダウンタウンのカジノのオーナーになる。
ラスベガスをエンターテイメントの街にという構想で、
ダウンタウンのホテルに専属歌手をおきそのビジネスが成功するとあっさり売却。
その後、現在のストリップにミラージュをオープンさせホテル前の火山噴火ショーで話題を集める。
そして次にトレジャー・アイランドをオープンさせ海賊ショー。
べラージオをオープンさせて噴水ショーと・・・
もちろん、ホテル内では有料のショーを取り入れ、
ギャンブルを楽しむだけでなくエンターテイメントを楽しむ街へと、
彼の構想通りラスベガスが変わって行った。
今やラスベガスの目玉でもあるシルク・ド・ソレイユのショーを呼び込んだのも
このスティーブ・ウィンでもある。
現在は、これらホテルを売却し別の会社がそれぞれのホテルを所有しており、
彼自信がラスベガスで所有しているのは2005年にオープンさせたWynn Las Vegasのみ。
総工費が27億ドル(3000億円?)という世界一お金をかけたホテルらしい・・・・
たしかに中に入るとベラージオ以上にきらびやか。
とにかくゴージャスなイメージのホテル。
ラスベガス名物のバフェも多分今ではラスベガス一の高額バフェ。
それなのにいつも行列ができている。
確かに味もまずまずだし日本人の大好きなカニもあるからお値打ち感はあるけど。
と、ちょっとラスベガスのウンチクを語ってしまったけれど、
このような歴史を知ってからラスベガスに足を運ぶのもまた面白いし、
ラスベガスが舞台になった映画も良いけれど、
ラスベガスの歴史を映画で学ぶのも面白いかもしれない。
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