◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007) USA - Mississippi

13. ミシシッピ州ナッチェス

金曜日, 8月 31, 2007Coyote


8月31日と9月1日はミシシッピ州のナッチェスに滞在。

ミシシッピ川沿いに面するナッチェス。
このナッチェスは1000年以上もの昔から
ネイティブ・アメリカンのナッチェス族が「王国」を築いていた。

階級制を持ち定住していたナッチェス族、その上の階級の人の古墳が町の郊外にいくつかある。

そのひとつGrand Village of the Natchez Indiansには古墳と一緒に
当時の生活を再現した家や博物館にはナッチェス族の資料が保管されている。



古墳と言ってもただ土を盛った山のようになっているだけだが、
古墳の大きさで当時の権力や階級を示していたらしい。

母が一言
「登呂遺跡に来た見たいね(笑)」

確かにネイティブアメリカンの当時の生活ぶりや建物、
そして彼等の民芸品や生活の知恵などは縄文時代や弥生時代の人たちの暮らしぶりによく似てる。
一部の説でネイティブ・アメリカンが日本人と同じモンゴリアンだという説にも
納得できることもある。(ただしネイティブの人たちはそれを認めていない人が多いが・・・)


で、このナッチェス族が穏やかに過ごしていたところに17世紀後半、
フランス人入植者がこの土地にやってきたのだ。




ミシシッピ川沿いの町でもこのナッチェスは高台になっているために
洪水などの被害から逃れられる土地。その一方でミシシッピ川はアメリカにとって
重要な水路として発展していった。その頃南部一帯では綿花産業が盛んになり、
このナッチェスが綿花の積出港として栄えたという。

南北戦争での敗北までの間、ナッチェスはそんな綿花産業で財を成した人たちが
こぞって豪邸を競って建てたらしい。

このフランス及びヨーロッパから入植してきた人たちが加わって
ナッチェス族の生活にも変化が見えてきた。
当初は友好的なカレラだったが黒人及び位の低い白人を奴隷として囲っていたヨーロッパ人は、
ナッチェス族にも同様の対応をし始めた。
そして植民地拡大のためにナッチェス族の土地を奪い始め、
18世紀初頭にナッチェス族の不満が爆発し争うことになる。

しかし結果はナッチェス族虐殺という悲しい結末になる。
生き残ったナッチェス族はナッチェスを追放されオクラホマのインディアン居留区にいく。
最後の純粋なナッチェス族が数年前に亡くなり現在は事実上ナッチェス族は滅びてしまった。
(他部族との混血はいるが・・・)


現在、このナッチェスは豪邸が立ち並ぶ町として「白人」の観光地となっている。



小さな町は散策するのにちょうどいい。
町の中にはトロリーが走ったり





写真のような馬車が観光スポットを回ってくれる。




南北戦争敗北後、この土地でも豪邸を維持できるオーナーは殆どいなかったという。
現在は有名な豪邸はNPOの団体などの手によって保存されているらしい。





写真の豪邸は町の中にあるほんの一部。

最後の写真にある家は八角形のお屋敷。
南北戦争によって建築が中断され、その後も資金繰りに困って建設が中断。
現在、その中途半端な状況のまま保管されている。
中断された未完成のお屋敷ではあるが、東洋を意識したデザインと八角形という形を
うまく利用した間取りには驚かされる。


こじんまりしたダウンタウンはまさに白人の町。
均整のとれた庭と建物、歩いていても安全。
しかしダウンタウンから外れて一歩裏道に入ると
それまでの光景とは全く違う町並みが・・・

今は人種差別などはないと思いたいが、人種の差別ではなく民主主義アメリカの
「格差社会」はこの町にも存在していた・・・





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