ノットウェイ・プランテーションはサトウキビのプランターによって建てられたもの。
オーナーはサトウキビだけでなく機械による砂糖の精製などもしていた実業家だったという。
他にもテキサスなどあちこちにプランテーションを所有し、
「彼の奴隷」は合計で500人にも達していたというから実業家といっても
相当成功した実業家だったのだろう。
そんな大富豪が建てたノットウェイは敷地面積2800ヘクタール、建坪1500坪、
部屋数が64という南部最大のプランテーション。
10年の歳月をかけて、高額な給料でしかも好条件で住み込みの大工を雇い
この豪邸を建てたという。
調度品は当時フランスやイギリスから取り寄せられ、家具や食器、シャンデリア、
全てにおいて豪華絢爛そのもの。
部屋数はなんと64!ただし64と言っても全てが大きな部屋ではない。
このノットウェイというプランテーションのオーナーは500人もの奴隷を抱えていた。
このノットウェイにはそのうち200人ほどの奴隷が生活していたという。
プランテーションのガイドの話では、オーナーは家族を愛し家庭的な人であり、
また奴隷達にも情をかけ奴隷にも愛されていたと伝えられている。
当時敷地内には42の奴隷小屋やあり、各家には2ベッドルーム+リビングルームが備えられ、
奴隷たちのために敷地内に共同浴場やら病院、集会場なども設置し、
日曜日には教会に行くことも許していたと言う。
*当時、深南部地域では、黒人が暴動を起こしたり、知識をつけることを恐れ、
5人以上の集団で固まることを許さなかったりしたといわれている。
この奴隷制度の時代、奴隷はオーナーの「商品」であり働き盛りの年代の人には
高値が付けられていた。
もちろん有能な奴隷にも高値が付けられ、お金が必要になるとオーナーたちは
奴隷を担保にしてお金を融通させることもあったそう。
そのために(価値あるものだけに)奴隷を大事に扱うオーナーも多かったというが、
ガイドの話ではここのオーナーは他よりも待遇良く扱い、奴隷たちにも愛されていたという。
まあ、いくら大事に扱うといっても生活水準や扱いは彼等たちと同等ではなかったはずだけど・・・
このプランテーションは、南北戦争時代の戦火から逃れることができ、
現在もほぼ当時のままの姿で保存されている。
建物の外壁には弾痕もあるがこの豪邸のオーナーが北軍の将校と
ビジネスで取引をしたことがあったために、北軍はこの豪邸の価値を知っており
見逃されたという話である。
しかし南北戦争後、南軍は敗北、南部は北軍に支配される。
このような豪邸には多額の税金が課せられ、
戦争によって全てを失ったオーナーたちは税金の支払いができず
プランテーションを手放すことを強いられた。
戦火から逃れられたこの豪邸もそれなりのダメージを受けたという。
このプランテーションを愛したオーナー、子供たちを戦火に巻き込まれないよう
親族の家等に預け家族を守り、奥様と下のお嬢さんはこの屋敷の地下で生活しながら
家を守っていたという。
オーナーはまた家族が以前のように生活できるようにと、
この屋敷の修復を試みるがその志半ばで亡くなってしまう。
その後、奥様が意志をついで屋敷を守るけれど、多額の税金の支払いを課せられ
結局1889年、$5万ドルにてこの屋敷を売り払った。
残された子供たちとの生活を維持するために・・・
売り渡す最後の日、奥様は全身黒の洋服をまとい、空になった屋敷を歩き回り、
そして窓をひとつひとつ閉めたと言われている。
そして彼女は屋敷を売り渡した5年後亡くなったという。
現在までの間、この豪邸は何人かの手に渡りながらも残された親族や子孫たちが、
オーナー家族の意思を汲んで彼らのお墓をこの屋敷の庭に移したり、
また当時の調度品なども買い戻し、当時の面影のまま保存しようと努力したという。
現在、この屋敷はオーストラリアの富豪が所有している。
彼はこの土地にバケーションで訪れた際、屋敷に滞在するそうだが、
当時の栄光の姿を保管すべき同じ時代の調度品などを収集しこの屋敷に集め、
それを一般公開している。
寄付された調度品も多いようす。
そしてまた母屋の数部屋と隣接する棟の数部屋(合計15部屋)が
B&Bとして宿泊できるようになっている。
Nottoway Plantation
30970 Highway 405
White Castle, LA 70788
USA
1-866-527-6884
www.nottoway.com/
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