◆ よくばりアメリカ西海岸 (Feb. 2008) USA - California

15. ターミナルアイランド

金曜日, 2月 29, 2008Coyote



2月28日、ラスベガス-サンノゼーロサンゼルスと一緒に過ごした友人とはここでお別れ。
朝の飛行機で彼女はサンノゼに帰宅。

空港まで見送ったあと、私は車を更に南に走らせていた。

コーヒーでも飲もうかな?
そんなことを考えていると電話が・・・

「コヨーテさ~ん♪ 今どこにいらっしゃいます?
良かったらお茶でもどうです?」

ロングビーチに住んでいる友人だった。

「ちょうどコーヒー飲もうと思っていたのよ。今から行くから待ってて!」

彼が待つベルモントショアまで車を走らせる・・・



ロサンゼルス空港の南、サウスベイからロングビーチに向かう途中に
ターミナルアイランドというエリアがある。
サウスベイからロングビーチは近いんだけど、このターミナルアイランドが
その距離を遠く感じさせる。





ターミナルアイランドという名前の通り、このエリアは港。
それもコンテナや倉庫が立ち並ぶエリア。
生活感を感じられないこのエリアは、どことなく物騒にも思えるし気分も暗くさせる。

どことなく、京浜工業地帯とか大黒ふ頭をイメージさせるこのエリア。




しかもこのターミナルアイランドに架かるこの橋が、これまた横浜ベイブリッジに思えてしまう。




こちらは横浜の写真。
以前、成田に行くリムジンから撮ったものなんだけどなんか似てるでしょ??


このターミナルアイランド、今は倉庫が立ち並ぶ町なんだけど、
実は戦前ここには南カリフォルニア最大の日系人コミュニティがあった。

その多くは和歌山県から移民していた日本人で、男性は漁師、女性は缶詰工場で働いていたという。




これは当時のターミナルアイランドの写真。
写真はYoshiokaというマーケット・・・(見づらいけど)

今は日系人が住んでいた・・・なんて面影ひとつない。

それというのも、ここに住んでいた3000人以上ものの日系人は真珠湾攻撃開始直後に
全員退去させられ、その後強制収容所に送り込まれたからだ。

ここに住んでいた漁師たちは、漁業用のラジオが日本との交信に使われていると疑われ
スパイだと嫌疑をかけられ拘束されたという。
48時間以内に退去という命令で、お金になるものは叩き売りをして、
持てるものは持てるだけ持ってこの地を去っていったという。
そして彼らは戦争が終わってもこの土地に戻ってくることはなかった。
漁船も漁業道具もすべて没収され、一世の漁師は漁業ライセンスすら奪われ
生活の手段がなくなってしまったからだという。


今は倉庫街、夜になれば人っ子一人いなくなる物騒なエリアって印象が強い町だけど
戦前はたくさんの日系人がここに暮らしていたと聞くと、なんとも言えない気分になる。

当時コミュニティがあったエリアにはモニュメントがあるそう。
いつか行って見ようと思う。


ちょっと感傷に浸りながら、待ち合わせ場所目指して南に向かうのである・・・




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