リマを後にした後は2日間の航海日。
残す寄港地はあとひとつ。あっという間にも感じられる。
この3週間のクルーズはサンディエゴからチリのサンチャゴまで、
ほぼアメリカの中央&南大陸の西海岸を縦断した形だ。
距離もそれなりにあるせいで適度に寄港地と航海日がミックスされており、
かなりゆったりと旅を楽しめる。
1日中洋上で過ごすこの日、10時半からキッチンのギャレーツアーに参加。
前回のMaasdamでは勇んでギャレーツアーに向かったら、
時差で時計を進めることをすっかりわすれていて、すでにギャレーツアーが
終了していた苦い思い出がある。
今回は時差もなく時間も問題ない!
続いて訪れたのは、ガイドのジャンさんと奥様の祐子さんのお住まいのあるバランコ地区。
ミラフローレスの隣町であるこのバランコ地区、アーチストが住む町ともあっておしゃれである。
ミラフローレスがリゾート的な高級感あるオシャレに対し、こちらはアーティスティックというか
歴史を感じさせる建物もある文化的なオシャレさ。
朝、前日と同様ミラフローレスまでシャトルバスで行きガイドのジャンさんと落ち合う。
まず前日のディナーで行くはずだった街中にある遺跡「ワカ・プクヤーナ」へ。
ジャンさんから、特に中に入らなくても外から十分見れるし、
チャンチャン遺跡などもっと大きな遺跡を見てきただろうから、
そんなに遺跡好きでなければ入場料を払う必要ないんじゃないかとのアドバイスで(笑)
外から写真を撮って終わり。
船に戻ったのは夜7:30を回ったところ。通常のディナータイムは8時から。
外で夕食を取るつもりだったが、いつも通りのメインダイニングへ。
両親は疲れてしまったようで、食後はすぐにベッドにはいってしまった。
この日は港に1泊するということで、食事を外で済ます人や、
リマでホテルに宿泊する人などもおりダイニングでもいくつかの空席があった。
親しくなったお隣のスペイン人グループもこの日は外出の様子。
ジャンさんが「いいものを見せてあげる」と連れて行ってくれたのが、海岸沿いの公園。
綺麗なグリーンの芝生に人々が寝転がったり、犬を散歩させたりしている公園だが
そこで目にしたのは・・・
そして・・・
ナスカの地上絵をモチーフに芝生に模様をいれていた。
「ナスカまでは案内できないけれど、ちょっとだけナスカを体感できたでしょ?」
とジャンさん。
ちなみにジャンさんはペルー人ではあるけれど、ナスカにもマチュピチュにも
行ったことがないという。
お次に案内してもらったのは、ラファエル・ラルコ・エレラ博物館。
18世紀にスペイン人の貴族の邸宅として造られたところに、
ペルーの古代文明の研究者であるラファエル・ラルコ氏が個人で収集したものを展示している。
邸宅というだけあって、中庭には花が咲き緩やかなスロープをあがると博物館の入り口がある。
なんとここは7世紀のものと言われるプレ・インカ時代のピラミッドの上に建てられているとか・・・
博物館には、チムー、ナスカ、モチェなど各時代の土器や黄金などが多数展示され、
しかも展示品でない収蔵品の倉庫まで公開されている。
車で旧市街に向かうが、リマの運転には驚くばかり。
車線などあってないもの、交差点には強引に車の頭を入れたもの勝ち、
車間距離など取らずギリギリまで幅寄せしたり割り込んでくる。
ヒヤヒヤしながら車に乗っているが、運転が好きな私でも
リマではとても運転はできないと実感する。
ガイドのジャンさんの案内でまずはシャトルバスが到着したミラフローレス地区を観光。
リマの旧市街から車で20分ほど海岸にむかうとある高級住宅街。
このあたりは新市街とも呼ばれ、急速に発展している地域の様子。
まずはミラフローレスにある教会。
11月14日クルーズ15日目はペルーの首都リマにほど近いカラオ港に寄港。
こちらも前日に続き貨物港への入港。
事前に情報収集したところ、このカラオ港周辺はかなり治安が悪いという。
また港もかなり大きく、港のゲートの中には一般車両はもちろんのこと、ラ
イセンスがないと入れないために、他の港のように入港できるタクシーもほとんどないとか・・・。
ただリマ辺りのタクシーは乗る際に料金を交渉するのが通例だったり、
観光客がタクシーで犯罪にあうこともあるとか、不安は募るばかり。
ワンチャコ海岸を後にした私達は、トルヒーリョの街中を通って港まで帰ることにした。
トルヒーリョの街の名は、ペルーを征服したスペイン人のピサロの故郷の名からつけられたという。
スペインに統治されていた街は必ずと言っていいほど、街の中心にプラザと呼ばれる広場があり、
その広場を囲むように街が形成されている。
ここトルヒーリョもアルマス広場(Plaza de Armas)が街の中心部にあった。
このトルヒーリョの広場はペルーで一番大きいとのこと。
地図を見るとアルマス広場と呼ばれるプラザが、ペルーのあちこちの都市で見つけることができる。
アルマスとはスペイン語で<兵器>を意味し、植民地時代に攻撃に備えて兵士達が
待機していたり、有事の際は市民の避難所として利用されることから
アルマス広場と名づけられたとか・・・だから同じ名前の広場がどの土地にもあるのかもしれない。