車で旧市街に向かうが、リマの運転には驚くばかり。
車線などあってないもの、交差点には強引に車の頭を入れたもの勝ち、
車間距離など取らずギリギリまで幅寄せしたり割り込んでくる。
ヒヤヒヤしながら車に乗っているが、運転が好きな私でも
リマではとても運転はできないと実感する。
やってきた旧市街は17世紀のコロニアル時代の繁栄を彷彿し、世界遺産にも登録されている。
街はアルマス広場を中心に街が形成されているが、まずはもうひとつの広場、
サン・マルティン広場へ。(注:写真に写っている女性は見知らぬ人です。)
中心に建つ銅像はペルーの独立運動に功績を残したサン・マルティン将軍の像。
こちらは1924年に建てられたHotel Bolivar、周りは1915年ごろから1930年ごろに建てられた
重厚感あるネオコロニアル式。
続いて訪れたのは街の中心となるアルマス広場。
この広場も先ほどのサン・マルティン広場と同様に地元の人や観光客でにぎわっている。
こちらはペルー政庁。毎日12時に衛兵の交代式があるというが、
残念ながらゆっくりと食事をとりジャンさんとのお喋りで衛兵の交代式は見逃し・・・(笑)
この鮮やかな黄色の建物はMunicipal Palace of Lima
こちらは堂々と建つカテドラル。
南米を征服したフランシス・ピサロが自信で礎石を置いたペルーで一番古いカテドラルだという。
インカ帝国を征服したスペイン。
このようにアルマス広場も重厚感ある建物に取り囲まれている。
どれもスペイン植民地時代のものであり、これだけのものを作れるというのは
それだけ征服したインカ帝国が富をもっていたかがうかがえる。
植民地にこれだけのものを作るなら、自国には相当な見返りもあったに違いない。
スペインに巨額の富をもたらしたであろうインカ帝国の征服者フランシス・ピサロは
ペルーの市民にとっては決して英雄ではない。
ペルーの人々は自分たちがインカ人であることを誇りに思い、
この征服者ピサロは母国を侵略した敵でしかないのだ。
ピサロの故郷から1935年リマ建都400周年を記念にピサロの像が送られた際、
初めはこのアルマス広場の前にある大聖堂の前に像が置かれたらしいが、
国民からの猛反発でアルマス広場の片隅に移された。
しかし再度猛反発にあいそちらも撤去されたという。
現在はピサロの代わりに
牛さんが建っていた。
広場をちょっと脇に入るとサントドミンゴ教会がある。
バロック様式とアンダルシア様式を取りいれて100年以上かけられて建てられた教会。
この教会の地下には植民地時代に葬られた一般市民の遺骨が何万体分もあるという。
ペルー政庁の裏手に回るとこんな建物が・・・
中は回廊と大きな階段
しかも天井いっぱいにステンドグラス。
裏に行くと線路がある。
どうやらここは駅のようだが、バスが発達しているペルーとはいえ首都の駅はこんなもの?
駅の裏手の山をみると山にペルーの国旗が。
そして山の中腹まで民家らしき建物が・・・
ジャンさんによると、貧しい人たちは市内に家を建てられず、
不便な山に家を建てていってるとのこと。それにしても色とりどりの家が多いなぁ~。
さらにこの駅の横には公園が・・・
緑が多いこの公園にちょっと辺りにそぐわない騎馬像が・・・
良く見るとインカ帝国征服者フランシス・ピサロの騎馬像だ。
スペインからのお届け物のこの像も、大聖堂の前からアルマス広場の片隅に追いやられ、
最後にはしょうがなくこの公園に置かれた様子。
ちなみにこのピサロは仲間割れによってスペイン人によって殺される。
その遺体は大聖堂にミイラとして安置されているが、
それが本当にピサロのものかは定かではないとのこと。
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