11月13日クルーズ14日目、船はペルー北部の町、トルヒーリョに寄航。
この周辺にはプレ・インカ時代の遺跡が点在しており、船のツアーではそれぞれの
遺跡訪問ツアーが企画されていたが、言葉に不安があるコヨーテ・ファミリーは
ガイド付きのツアーには参加せず、マイペースで観光ができるようにと
タクシーをチャーターすることにした。
船を降りるとここでもたくさんのタクシーが客待ちをしている。
今回のクルーズで何回かタクシーをチャーターしているうちに、直感的に
ドライバーを選ぶ術が身についたのか、たまたま運が良かっただけなのかわからないが、
この日も直感的にドライバーを選び観光をお願いする。
この日のドライバーもまた英語が通じない50代ぐらいのおじさん。
おじさんは言葉が通じない代わりに、地図やらガイドブックを私たちに見せ行きたいところを訪ね、
所要時間などを考慮した上でその日の観光コースをアレンジしてくれた。
まず向かった先は、Huaca del Sol(太陽のワカ)と Huaca de la Luna(月のワカ)と呼ばれる遺跡。
アドベ(日干し煉瓦)で作られた対になったピラミッド型の神殿。
太陽のワカは要塞として利用されていたと見られ、基底部が 345m X 160m、
そして高さが30mもあったという。
砂漠のような乾燥地帯に聳える山。
月のワカはこの麓に広がる神殿。
太陽のワカは見学ができないが、月のワカは見学が可能。
ただし見学はガイドに引率されて行われる。
英語かスペイン語のガイドが選べ20人ほどのグループでツアーが行われる。
インフォメーションセンターから歩いて山を登り神殿中央部へ向かう。
反対側には太陽のワカが・・・
この遺跡はモチェ王国の遺跡で、ペルー北部の沿岸部のこのあたりは
モチェ文化時代(紀元前後~700年頃)に栄えていたという。
ガイドの話によるとモチェ文化はかなり先進的な文化を持っており、
優秀な人たちも多くいて繁栄した文化だったそう。
優秀な人々はこの神殿周辺で暮らし、また住民は近くを流れる川や海の地形を利用し、
運河や貯水槽を建設し、この乾燥地帯でも農業が営まれ立派な国家が存在していたことが、
出土品から伺えるとのことだった。
神殿はまだ発掘途中であり、また明確な文字文化を持たないこともあって、
判明されていない部分も多いようだが、この神殿が宗教的な意味合いを含むもので、
中心部を守るような形で形成されている様子が伺えるという。
至る所に鮮やかな色で描かれた壁画が・・・
こちらは2006年に発見された壁画。当時の生活様式が描かれているようにも見えるが、
明確なことは現在もまだ解明されていない。
こちらにも一面壁画が描かれている。
積み重ねられた日干し煉瓦。
これは月のワカで出土されたレンガから復元をしているものかと思われるが、
反対側にある太陽のワカは、この日干し煉瓦を1億4000万個使用して作られたという。
この日のツアーガイドは英語での説明ではあったがかな~り理解に苦しむ英語で、
ツアー参加者がその都度ガイドに「君の言っていることは~ということなのか?」と質問をし、
私はツアー参加者の質問でガイドの説明を理解していた。
もちろん私の英語力では半分も理解はできないのだが・・・(涙)
いずれにしても、まだ発掘が続き解明されていない部分も多い遺跡。
それでもこの迫力から当時の国家・文化の繁栄が想像できる。
もし機会があれば、発掘がもっと進み、いろんなことが解明されたときに
もう一度訪れてみたいとまで思った遺跡だった。
(オマケ)
ツアーを終えてタクシーに戻ろうとすると地元の小学生たちが社会科見学で訪れていた。
いろいろ話しかけられたが、なにせ言葉が通じない・・・(涙)
それでも頑張って日本人だと伝え、知ってる単語を並べると喜んでいる。
とっても人懐っこい子供たちで、記念に一枚!
2 コメント
いいドライバーに当たるのとそうでないのでは、観光の充実度に歴然とした差がでますよねー。
返信削除子供たちの笑顔も素敵です。彼らの笑顔には言葉の垣根も人種の違いもないですもんね。
みーな丸さん、仰るとおりです!
返信削除ガイドやドライバー次第で旅の充実度のみならず、その土地のイメージまで変わってしまいますよね。今回はタクシーチャーターも大成功でした。
子供たちの純粋な笑顔、ついシェアしたくてオマケで載せてしまいました。ペルーは日系人も多いから、もしかしたら日本人の私は彼らにとって親しみある顔だったかもしれません(笑)