LA2日目、日ごろ不規則な仕事をしているための疲れか、時差ボケなのか、
2日目は異様に疲れていた。
この日は1日ダラダラデーにしようと決める。
翌日はサンタフェに出発、しかもフライトは朝の6時半。
・・・ってことは、空港へ行く前に車を返さなきゃいけないから朝の4時には起きなければ!
2005年4月29日、GWの真っ只中にアメリカ出発。
盆暮れ正月、時間も関係なく仕事をしている私は、
比較的いつでも休みが取れるために、かえって混み合う時期を避けて旅行をしていた。
今回は初めて一般の人と同じようにGWにお休みをとって海外へ脱出。
ニュースで「出国ピーク」なんて映像を見ることはあっても、自分が体験するのは初めてのこと。
サンタフェ・・・ ニューメキシコ州にある州都。
市の名前はスペイン語で「聖なる信仰」という意味の土地。
プエブロ・インディアンが古くから集落をつくり、日干し煉瓦のアドべ式の建物を形成した土地。
その建築様式が現在のサンタフェの建築の原型とも言われ、
この建築物と町が調和するよう法が施行されている。
そんなサンタフェをいつか訪れたいと感じ、いよいよその時がきた。
ラスベガスの中でも老舗のホテル、リヴィエラ。
今や華やかなラスベガスらしいホテルは南に集中し、
北に位置するリヴィエラ周辺はちょっと影が薄れつつあるが、
このリヴィエラはバグジーがフラミンゴをオープンしてから約10年後の1955年、
華々しくオープンした。
すでに当時、フラミンゴの他にもサンズ、デザートインといったカジノホテルが存在していたが、
それらのホテルを圧倒させるような大きさでオープンしたと言われている。
カジノ、そしてエンターテイメントの街、ラスベガス。
眠らない街ラスベガス、いや眠らせてくれない街、それがラスベガスかもしれない。
世界中から観光客が訪れ、その数はハワイの5倍とも言われている。
そんなラスベガスも今から100年ほど前は殆ど人がいないただの砂漠だった。
このラスベガスに人が集まりだしたのは「フーバーダムの建設」が始まった1931年。
大恐慌下のアメリカは、ニューディール政策の一環としてフーバーダムを建設して
失業者に雇用の機会を与えようとした。
労働者たちが多く集まり、飲酒、ギャンブルなどが解禁となり少しずつこの街が栄え始めた。
1935年、黒部ダムの10倍もある大きさのフーバーダムが完成し、
水の確保や電力供給できるようになったが、まだこの時点ではラスベガスは2万人程度の人口しかなかった。
ラスベガスのホテルはカジノの収益が一番大事な場所。だからどのホテルもカジノに人を集めるためにいろんな工夫が凝らされている。どのホテルにも言えるのが、数あるいくつものエントランス、どこからも必ずカジノを通らなければ客室には戻れない。しかもストリップにある巨大ホテルは客室数ももちろん多いが、カジノフロアも半端じゃない広さ。その広いカジノフロアを抜けるには時間もかかる上、ついついカジノをやろうかな?という誘惑に惑わされる。
ベラージオからのお祝いギフトを頂いたことでようやく母たちオバサマ3人も私の誕生日に気がついた。せっかくの誕生日だからこの日のディナーは私の好きなものを食べに行こうと叔母が提案してくれ、すぐさまお気に入りのLawry's The Prime Ribを予約した。
オバサマ3人とすでにオバサンの仲間入りをしそうな私の女4人は、
サンノゼから飛行機を乗り換えてラスベガスに向かった。
空港に到着するとラスベガスらしくたくさんのリムジンが空港エントランスに乗り付けており、
知り合いのオバサマは初めてみるリムジンに興味津々。
そんなこともお構いなしにさっさとタクシーに乗り込みホテルに向かった。
宿泊するホテルは あの噴水で有名なBellagio Hotel & Casino Las Vegas。
5年ほど前に母と叔母、そして知り合いのオバサンの3人にせがまれて旅行をしたことがあった。
しかも出発は私の誕生日。
誕生日だというのに
「旅行のことで頭がいっぱい」
「オバサン・トークに夢中で人のことなんかお構いなし」
という具合で母すらそのことを忘れていた。
まあ、この歳になると誕生日なんかめでたくも何ともないし、
お祝いしてもらうってガラでもない・・・
しかも出発は私の誕生日。
誕生日だというのに
「旅行のことで頭がいっぱい」
「オバサン・トークに夢中で人のことなんかお構いなし」
という具合で母すらそのことを忘れていた。
まあ、この歳になると誕生日なんかめでたくも何ともないし、
お祝いしてもらうってガラでもない・・・
成田を夕方に出発し、当時はまだ運行していたアメリカン航空の
NRT-SJC線を利用してラスベガスに入る予定。
サンノゼに朝到着し入国審査を受けるためにオバサン3人と私は
一緒にブースに向かった。
厳しい表情のイミグレ・オフィサーが4人分のパスポートをチェックしていると
私のパスポートを確認しているときに急に手が止まった。
一瞬不安になる私・・・
とにかく楽しく、いろんな経験ができた初一人旅。
一人旅と言うよりも、またもや人の優しさに触れることができた旅だった。
楽しいことしかなかった、いい思い出しか残っていないこの旅もとうとう終わり。
友人ににフレズノの空港まで送ってもらい、またアノ小型プロペラ飛行機に乗って
サンノゼ国際空港へ・・・ 帰りのこの小型飛行機、上空から見るフレズノは
行きにみたフレズノとちょっと違う。いろんな思いを心に納めながら
フレズノ上空を飛んでサンノゼへ。
実際に全米で禁煙ブームが到来したのは1990年後半ではないだろうか?
この禁煙をいち早く取り入れたと言われるカリフォルニア。
当時は公共の場での喫煙に対して厳しくなり始めた・・・その程度のことだった。
当時は公共の場での喫煙に対して厳しくなり始めた・・・その程度のことだった。
アメリカに行っても、いろんなところを観察してしまうコヨーテ。
当時、私はタバコを「もらいタバコ」する程度に吸っていた(笑)
当時、私はタバコを「もらいタバコ」する程度に吸っていた(笑)
カリフォルニアのフレズノからペンパルのいるフロリダまで行くのに
また飛行機を乗り換えて行かなければならない。
早朝の便だったのに寝坊して空港にはギリギリ着いた。
空港に着くなり「ダラス行きファイナル・ボーディング」のお知らせ。
荷物をチェックインするとカウンターで「あとはコヨーテさんだけです!」
チェックインを済ませたとたんに空港には「コヨーテさん、○番ゲートに急いで!!」という
アナウンスが響き渡る。
初めての独り旅は1992年、随分昔だ(笑)
独り旅といっても、実際には独りで飛行機に乗るだけなんだけど。
当時はインターネットなんぞもなく、自分で航空会社のタイムテーブルなんかを取り寄せて
航空券を手配した。
旅行行程は
独り旅といっても、実際には独りで飛行機に乗るだけなんだけど。
当時はインターネットなんぞもなく、自分で航空会社のタイムテーブルなんかを取り寄せて
航空券を手配した。
旅行行程は
カリフォルニア州フレズノ(3日)→ フロリダ州セント・ピータースバーグ(5日)初めての独り旅で大陸横断!
→ カリフォルニア州フレズノ(3日)
◆ 初めての海外旅行 (Jan. 1987)
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