クラークスデールを後にし、向かうはテネシー州のメンフィス。 クラークスデールからUS-61、またの名を「ブルースハイウェイ」を通って向かう。 そこそこ交通量もあるこの道。 ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・ これぞディープ・サウスだ!と一人で感激。 綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。 車を路肩に停めて写真をパチリ♪ コットンボールという名の通り、丸い玉なんですね。 話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。 ...
デルタ・ブルースの聖地といわれるクラークスデールに宿泊です。 この日はまたまたプランテーションに宿泊。 プランテーションの名は「Hopson Plantation」 プランテーションといって想像するのが豪邸。 でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。 私が宿泊したのはこのHopson Plantationにある「Shack Up Inn」という ホテルというかロッジというか・・・とりあえず宿泊施設なんだけど、 これがまた面白いの。 伝説のクロスロードから南に5マイルほどのところにあるのね。 プランテーション入り口の交差点、一応国道49号線が交わっているんだけど この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。 ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・ で、ホテルがあると思われる住所にたどり着くとこんな建物が・・・ 一応「Hopson」って書いてあるところをみると間違えてはいない様子。 フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・ ...
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Mississippi
アクシデント/ハプニング/サプライズ
17. 焼け残った後のプランテーション
日曜日, 9月 02, 2007Coyote ナッチェス・パークウェイを降りてポート・ギブソンという町に向かった。 この町の近くにあるウィンザー・プランテーションに寄ってみたかったのだ。 1859年から2年の歳月をかけて作られたお屋敷。 ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、 当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、 屋上には天文台まであったという豪邸。 当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。 現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな? 当時はこんな姿だったみたい。 しかしこのお屋敷には実は悲しい歴史がある。 お屋敷ができた1961年、このオーナーはなんとお屋敷ができた2、3週間後に 34歳という若さで亡くなってしまった。 その後、この屋敷は南北戦争で連合軍に使用され、屋上の天文台は監視に使用されたり、 ポートギブソンの戦いでは病院として利用されたこともあったり。 戦後は地域の集会場としても利用されたり、あのマーク・トゥウェインもこの屋敷に宿泊し 天文台からミシシッピ川を観察したとも言われている。 そして1890年の2月、この屋敷に宿泊していた客の火のついたタバコか葉巻が 大工が残していた大量の木のチップの上に落ちてしまったという。 一説には、チップに火のついたタバコか葉巻を投げ込んだ・・・というものもあるんだけど。 いずれにせよ、そのタバコの火が原因でこのお屋敷は瞬く間に燃えてしまったのだ。 で、現在の姿はこんな状態。 ...
9月2日(日)は、ミシシッピでも華やかで豪邸が立ち並ぶナッチェスから ミシシッピで一番貧しいエリアとも言われるデルタ地帯へ。 約400キロの道のり、寄り道しながらドライブです。 まずナッチェスを出ると、そこからテネシー州ナッシュビルまで続くナッチェス・トレース・パークウェイ 全長710キロのこの道、18世紀ごろの南部の重要な旧街道だった道。それを国立公園局が管理し、自動車専用道路を作り2005年に全線開通したという。 片道1車線の道は、沿道に一切民家もなくお店なんかもない。 もちろんガスステーションなんかもないから、必要になれば所々にある町へ通じるジャンクションで一旦町へ出ないとならない。 それでもトウモロコシ畑や綿花畑がちらほらあったり、広々とした草原があったり、湿地帯があったり、森の中のような林の中を抜ける・・・そんな景色はドライブしていても気持ちがいい。 ツアーバスやトラックの進入が禁止されているために、のんびりドライブ♪ のどかでしょ~~!? この道沿いには、ネイティブ・アメリカンのナッチェス族の古墳があったり ...
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
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12. ルイジアナからミシシッピへ
金曜日, 8月 31, 2007Coyote 8月31日 この日向かったのはミシシッピ州のナッチェスという町。 ラフィエットから約300キロ北東の町。 本来は比較的大きな幹線道路を通って行くはずだったのに ナビを当てにしたのが間違いだった(汗) 旅行直前にゲットしたナビを使ってスイスイ行く予定だったのに、 朝食を買ったりガソリンを入れたりと車を停めるたびにそれまでのルートと違う案内をする様子。 再設定をすればそこからの最短最速ルートを案内してくれることに気付いたのは この日のドライブの途中。 それでもナビがとんでもない案内をするわけでなく、 州道といえるような道でのんびりドライブすることになった。 こんなのどかな道を走っていく。 ...
8月30日、この日訪れたLafayette(ラフィエット)はケイジャン・カントリー。 ケイジャンとは17世紀初頭、フランスから新大陸に渡ってきた人たちの子孫。当時身分差別のあったフランスで貧しい農民生活をしていた彼らが本国を飛び出しカナダに渡った。新天地での新しい生活で自由と富を得ようとしていた彼らはその土地をパラダイスという意味の「L'Acadie(ル・アカディー)」と呼び、その住民である自分たちを「Acadian(アケーディアン)」と呼んだ。 (ケイジャンはアケーディアンが訛ったもの) しかし18世紀半ば、その土地がイギリスの植民地となり、フランス語を話しカトリックを信仰していた彼らはカナダを追放されたという。追放され本国に戻っても彼らは既にフランス本国とは別の言語、習慣を持ち合わせフランス人としてもとの暮らしをすることは難しかしく、本国でも受け入れられなかったという。 カナダに残った人たちは虐殺され、生き残った彼等がたどり着いたのが当時スペイン領だったルイジアナに漂着することになる。 農村出身の彼等の先祖。勤勉で働き者、カナダで漁をして過ごしてきた彼らは漁師としてルイジアナに入った。 このアケーディアン(ケイジャン)は、ルイジアナでも決して裕福な暮らしが出来たわけではない。マイノリティーならではの差別もあり、また文化・料理・音楽など独自の文化を持っている彼等。 しかしその一方で黒人や先住民族を受け入れコミュニティーで一緒に生活もしたり、結婚も受け入れられていたという。そのせいかもともと訛りの強かった彼らのフランス語は更に変化し、先祖のフランスのケベック訛りや黒人たちのハイチ訛り先住民の語彙や英語の語彙が混ざり独自の彼等の言葉を形成している。 そんなケイジャンの首都とも言うべき場所がこのラフィエットと言うわけ。 町にはこの苦難の歴史を持ち、民族の帰属意識や誇りが高い彼等に関する見所が点在する。 まずはバーミリオン・ミル。 ...
8月30日はNottoway Plantationからラフィエットとという町へ向かった。 ニューオリンズから西へ200キロほど行った町。 天気予報では雷雨と言われ、空には雷雲も見られるものの私の頭上はこんな感じ。 この一帯はアメリカ最大の湿地帯がある。 アチャファラヤ川の河口からメキシコ湾に広がる一帯を Atchafalaya Basin(アチャファラヤ・ベイスン)とかスワンプと呼ばれる。 ...
ディナーは敷地内にある別棟のレストランで頂くことにした。 夜になるとあたりは真っ暗。敷地も広いせいもあってか、 周囲にレストランなどがあるかどうかもわからないし、 せっかくここに来たのならお食事もここのレストランで頂くことしにした。 レストランは母屋とは庭を挟んだ別棟にある。 当時は大きなパーティーなどが催されたりしたRandolf's Hallと呼ばれる場所だった。 天井には明かり取りの大きな窓がついて開放感ある素敵なフロア。 食事はクレオール料理。南部旅行の楽しみはなんと言っても食事! アメリカにはそれぞれその土地特有の料理が実はある。 ここ南部にはたくさんの美味しいお料理がたくさんある。 クレオール料理は、ルイジアナ州大ニューオーリンズ(New Orleans metropolitan area)地域を中心とする、独特の料理のスタイルである。フランス、スペイン、フランス領アンティル、西アフリカ、そして南北アメリカの食文化の影響が混合されており、イタリア料理の特徴も備えている。「聖なる三位一体」("Holy Trinity"、料理のベースとなる、タマネギ、セロリ、ピーマンを炒めたもの)や使用する食材はケイジャン料理と漠然と似ており、ガンボやジャンバラヤなどの料理は両者に共通している。重要な差異は、ケイジャン料理が田舎風フランス料理の元となったアカディア人の料理にルイジアナの土着の食材を適合させたのに対して、ルイジアナのクレオール の料理は地元の食材をベースにさらに古典的なヨーロッパのスタイルへ向かった点である。その主な原因として、大規模追放以前からすでにアカディアとフランスとの繋がりが希薄になっていたのに対し、ニューオーリンズはフランスとの関係をより長く保っていたこと、またイタリア人などのヨーロッパからの新移民は大都市から隔絶したアケイディアナよりも都市部であるニューオーリンズに定住することを好んだこと、基本的にケイジャン料理が田舎の自給自足の環境で発展したのに対し、クレオール料理は富裕階級の庇護のもとに洗練された都市文化の産物であったこと、などが挙げられる。wikipediaより こちらはエトフィーと呼ばれる煮込み料理。 クレオールながらのスパイスがたっぷり入ったもの。 私がオーダーしたエトフィーには南部ながらの「ナマズ」と「ザリガニ」そして「エビ」が たっぷり入っていた。 濃厚な味わいで美味しかったけれど、なにせ長旅の後で胃が働いていないこともあり 残念ながら半分ほどしか食べられなかった。 あとはカップのガンボを注文。 ガンボはお店や家庭で味が違う、まさに南部のお袋の味とも言うべきものだろうか? ノットウェイのガンボは比較的上品な味。 こちらにはアンドゥイユなどのソーセージやオクラ、ザリガニが入っており、 スパイスたっぷりながらもホッとする味。 翌朝は宿泊料金に含まれている朝食を・・・ 朝食は母屋にある当時は子供たちのボウリング場と使用されていた場所で食べる。 現在は小さなバンケットスペースとして活用されているという。 朝食はトースト、ベーコン、目玉焼き、ワッフルにグリッツ。 アメリカ人の朝食にしてはかなりボリュームがあるのが南部の朝食。 パンケーキ、フレンチトースト、ワッフル、ビスケットなど選択肢が多いのも南部の特徴。 アメリカ人の食事というとパンケーキにソーセージや卵料理をイメージする人も多いけれど、 現代のアメリカ人の日常はシリアルやトーストにジュースやコーヒーと簡単に済ませる人が多い。 しかしもともと農耕民族に属する南部の人たちは、 朝一汗かいて食後の仕事に精を出すためにもボリュームのある食事をしていたといわれ、 今でもその習慣がのこっているのか、しっかり食事をとる人も多く、 また町のダイニングでも南部の朝食を提供するところに朝から多くの人が訪れている。 グリッツはコーンミルのお粥のようなオートミールのようなもの。 コーン特有のプツプツとした食感がたまらなく、私はこのグリッツが結構好き。 ノットウェイのスタッフはすごくフレンドリーで温かい人たち。 古い屋敷を当時のまま保存するのは容易ではないだろう。 沢山の庭師やメンテナンスなどのために多くの人が敷地内で働いている。 こんな豪邸に宿泊したものの、なんだか自分の家のようなもてなしをしてくれる。 とても気分よく過ごせたけれど、次回は最低2泊ぐらいしてゆっくり寛ぎたい。 Nottway Plantation Restaurant & Inn 1-866-527-6884 30970 Highway 405 White Castle, LA 70788 http://www.nottoway.com/ 海外ドライブ旅行関連の人気ブログの検索は からどうぞ! ...
南部最大と言われるプランテーション、ノットウェイに宿泊した。 白亜の豪邸から、その名を「White Castle」とも言われ、 いつしかその「White Castle」がこの町の名前にもなってしまったと言う。 私が宿泊したのは母屋にある長女のお部屋。 実は以前、この長女が書いた日記を読んだことがあり、どうしてもこのノットウェイに、 そしてこの長女の部屋に泊まってみたく、旅行前から準備を進め 念願かなってこの部屋に泊まることができたのだ。 ピンクが基調のとても女の子らしい可愛らしいお部屋。 ベッドリネンなんかも花柄で私はちょっと苦手だけど、 それでも気分は「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラのように お金持ちのお嬢様になりきってみた。 ...
ノットウェイ・プランテーションはサトウキビのプランターによって建てられたもの。 オーナーはサトウキビだけでなく機械による砂糖の精製などもしていた実業家だったという。 他にもテキサスなどあちこちにプランテーションを所有し、 「彼の奴隷」は合計で500人にも達していたというから実業家といっても 相当成功した実業家だったのだろう。 そんな大富豪が建てたノットウェイは敷地面積2800ヘクタール、建坪1500坪、 部屋数が64という南部最大のプランテーション。 10年の歳月をかけて、高額な給料でしかも好条件で住み込みの大工を雇い この豪邸を建てたという。 調度品は当時フランスやイギリスから取り寄せられ、家具や食器、シャンデリア、 全てにおいて豪華絢爛そのもの。 部屋数はなんと64!ただし64と言っても全てが大きな部屋ではない。 ...
オークアレイを後にした私たちは更にミシシッピ川沿いを昇り ノットウェイ・プランテーションに向かった。 ノットウェイはサトウキビのプランターによって建てられたもの。 オーナーはサトウキビだけでなく機械による砂糖の精製などもして実業家として成功した人。 他にもプランテーションを所有し、「彼の奴隷」は合計で500人にも達していたという。 そんな大富豪が建てたノットウェイは敷地面積2800ヘクタール、建坪1500坪、 部屋数が64という南部最大のプランテーション。 10年の歳月をかけて、高額な給料でしかも好条件で住み込みの大工を雇い、 10年の歳月をかけてこの豪邸を建てたという。 調度品は当時フランスやイギリスから取り寄せられ、家具や食器、シャンデリア、 全てにおいて豪華絢爛そのもの! 母屋の中はこんな感じです! Music Room チェンバロやハープもあります。 娘の寝室 エントランスを入ったスグのロビーにあったテーブルセット。 カジュアルに玄関先だけで・・・ってお客様用でしょうか? 別の娘の寝室だったかな? Dining Room どんなお料理を食べていたんでしょう。 White Ball Room 3Fの廊下の踊り場のようなところ。 書斎だったかな?? ...
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
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04. The Great River Road (Oak Alley Plantation)
水曜日, 8月 29, 2007Coyote 8月29日(水) ニューオリンズの空港にたどり着いた私たちはそのまま車を借りてミシシッピ川沿いをドライブした。 ニューオリンズからバトンルージュまでの川沿い一帯には多くのプランテーションが残っている。 18~19世紀には綿花やサトウキビの大農園主が競ってこの辺りに豪邸を建てたという。 残念ながらその多くは南北戦争の際に北軍の手によって焼き払われてしまったが、 それでも現在いくつかのプランテーションが保存され観光客相手に公開されている。 車を走らせているとそんな豪邸を車窓からも眺められる。 建物の中はツアーに参加しなければ見られないが、庭や外観だけを見る分には無料。 リバーロードをドライブしていると何本もの樫の木がアーチ状に並ぶ立派なプランテーションに出会う。そこがオーク・アレイ・プランテーション。 ...