カジノ、そしてエンターテイメントの街、ラスベガス。
眠らない街ラスベガス、いや眠らせてくれない街、それがラスベガスかもしれない。
世界中から観光客が訪れ、その数はハワイの5倍とも言われている。
そんなラスベガスも今から100年ほど前は殆ど人がいないただの砂漠だった。
このラスベガスに人が集まりだしたのは「フーバーダムの建設」が始まった1931年。
大恐慌下のアメリカは、ニューディール政策の一環としてフーバーダムを建設して
失業者に雇用の機会を与えようとした。
労働者たちが多く集まり、飲酒、ギャンブルなどが解禁となり少しずつこの街が栄え始めた。
1935年、黒部ダムの10倍もある大きさのフーバーダムが完成し、
水の確保や電力供給できるようになったが、まだこの時点ではラスベガスは2万人程度の人口しかなかった。
ラスベガスのホテルはカジノの収益が一番大事な場所。だからどのホテルもカジノに人を集めるためにいろんな工夫が凝らされている。どのホテルにも言えるのが、数あるいくつものエントランス、どこからも必ずカジノを通らなければ客室には戻れない。しかもストリップにある巨大ホテルは客室数ももちろん多いが、カジノフロアも半端じゃない広さ。その広いカジノフロアを抜けるには時間もかかる上、ついついカジノをやろうかな?という誘惑に惑わされる。
ベラージオからのお祝いギフトを頂いたことでようやく母たちオバサマ3人も私の誕生日に気がついた。せっかくの誕生日だからこの日のディナーは私の好きなものを食べに行こうと叔母が提案してくれ、すぐさまお気に入りのLawry's The Prime Ribを予約した。
オバサマ3人とすでにオバサンの仲間入りをしそうな私の女4人は、
サンノゼから飛行機を乗り換えてラスベガスに向かった。
空港に到着するとラスベガスらしくたくさんのリムジンが空港エントランスに乗り付けており、
知り合いのオバサマは初めてみるリムジンに興味津々。
そんなこともお構いなしにさっさとタクシーに乗り込みホテルに向かった。
宿泊するホテルは あの噴水で有名なBellagio Hotel & Casino Las Vegas。
5年ほど前に母と叔母、そして知り合いのオバサンの3人にせがまれて旅行をしたことがあった。
しかも出発は私の誕生日。
誕生日だというのに
「旅行のことで頭がいっぱい」
「オバサン・トークに夢中で人のことなんかお構いなし」
という具合で母すらそのことを忘れていた。
まあ、この歳になると誕生日なんかめでたくも何ともないし、
お祝いしてもらうってガラでもない・・・
しかも出発は私の誕生日。
誕生日だというのに
「旅行のことで頭がいっぱい」
「オバサン・トークに夢中で人のことなんかお構いなし」
という具合で母すらそのことを忘れていた。
まあ、この歳になると誕生日なんかめでたくも何ともないし、
お祝いしてもらうってガラでもない・・・
成田を夕方に出発し、当時はまだ運行していたアメリカン航空の
NRT-SJC線を利用してラスベガスに入る予定。
サンノゼに朝到着し入国審査を受けるためにオバサン3人と私は
一緒にブースに向かった。
厳しい表情のイミグレ・オフィサーが4人分のパスポートをチェックしていると
私のパスポートを確認しているときに急に手が止まった。
一瞬不安になる私・・・