一夜明けたペンサコーラ・ビーチ。
朝起きてホテルの部屋から真っ青な海を・・・と期待していたもののカーテンを開けると大雨。
前日、シーフードレストランで感じた怪しい風から予想していた天気は大当たり。
朝起きてホテルの部屋から真っ青な海を・・・と期待していたもののカーテンを開けると大雨。
前日、シーフードレストランで感じた怪しい風から予想していた天気は大当たり。
ホテル内で簡単な朝食を済ませながらお天気の様子を見るけれど雨が止む様子ナシ。
アメリカではギャンブル(賭博)は組織犯罪の温床となったり、個人の破産、
家庭の崩壊などの深刻な社会問題の発生源と捉えられて一般的には禁止されている。
家庭の崩壊などの深刻な社会問題の発生源と捉えられて一般的には禁止されている。
しかし一定の条件の下で規制を設けて、州の管轄として許可されている。それがカジノである。
ただし先住民族であるアメリカン・インディアンに対しては連邦政府が規制を設けて
先住アメリカ人の部族の自立更生、地域社会の経済振興などのために許可されている。
クラークスデールからUS-61、またの名を「ブルースハイウェイ」を通って向かう。
そこそこ交通量もあるこの道。
ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・
ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・
これぞディープ・サウスだ!と一人で感激。
綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。
車を路肩に停めて写真をパチリ♪
綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。
車を路肩に停めて写真をパチリ♪
コットンボールという名の通り、丸い玉なんですね。
話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。
話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。
この日はまたまたプランテーションに宿泊。
プランテーションの名は「Hopson Plantation」
プランテーションの名は「Hopson Plantation」
プランテーションといって想像するのが豪邸。
でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。
でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。
伝説のクロスロードから南に5マイルほどのところにあるのね。
プランテーション入り口の交差点、一応国道49号線が交わっているんだけど
この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。
ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・
この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。
ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・
で、ホテルがあると思われる住所にたどり着くとこんな建物が・・・
一応「Hopson」って書いてあるところをみると間違えてはいない様子。
フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・
フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・
ブルースと聞いて淡谷のり子とか青江三奈をイメージしないでくださいね!
お年がバレますよ♪
お年がバレますよ♪
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Mississippi
アクシデント/ハプニング/サプライズ
17. 焼け残った後のプランテーション
日曜日, 9月 02, 2007Coyote
1859年から2年の歳月をかけて作られたお屋敷。
ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、
当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、
屋上には天文台まであったという豪邸。
当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。
現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな?
ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、
当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、
屋上には天文台まであったという豪邸。
当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。
現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな?
当時はこんな姿だったみたい。
お屋敷ができた1961年、このオーナーはなんとお屋敷ができた2、3週間後に
34歳という若さで亡くなってしまった。
その後、この屋敷は南北戦争で連合軍に使用され、屋上の天文台は監視に使用されたり、
ポートギブソンの戦いでは病院として利用されたこともあったり。
戦後は地域の集会場としても利用されたり、あのマーク・トゥウェインもこの屋敷に宿泊し
天文台からミシシッピ川を観察したとも言われている。
そして1890年の2月、この屋敷に宿泊していた客の火のついたタバコか葉巻が
大工が残していた大量の木のチップの上に落ちてしまったという。
一説には、チップに火のついたタバコか葉巻を投げ込んだ・・・というものもあるんだけど。
いずれにせよ、そのタバコの火が原因でこのお屋敷は瞬く間に燃えてしまったのだ。
で、現在の姿はこんな状態。
約400キロの道のり、寄り道しながらドライブです。
まずナッチェスを出ると、そこからテネシー州ナッシュビルまで続くナッチェス・トレース・パークウェイ 全長710キロのこの道、18世紀ごろの南部の重要な旧街道だった道。それを国立公園局が管理し、自動車専用道路を作り2005年に全線開通したという。
片道1車線の道は、沿道に一切民家もなくお店なんかもない。
もちろんガスステーションなんかもないから、必要になれば所々にある町へ通じるジャンクションで一旦町へ出ないとならない。
もちろんガスステーションなんかもないから、必要になれば所々にある町へ通じるジャンクションで一旦町へ出ないとならない。
それでもトウモロコシ畑や綿花畑がちらほらあったり、広々とした草原があったり、湿地帯があったり、森の中のような林の中を抜ける・・・そんな景色はドライブしていても気持ちがいい。
ツアーバスやトラックの進入が禁止されているために、のんびりドライブ♪
ツアーバスやトラックの進入が禁止されているために、のんびりドライブ♪
のどかでしょ~~!?
この道沿いには、ネイティブ・アメリカンのナッチェス族の古墳があったり
6時過ぎになると宿泊者がバーに・・・
バーと称したお部屋は、このお屋敷で実際に使用されたバーエリア。
この時代、殿方たちの社交の場ともいえる場所。
ここでグラスを傾け、シガーなどを楽しんだのかもしれません。
バーと称したお部屋は、このお屋敷で実際に使用されたバーエリア。
この時代、殿方たちの社交の場ともいえる場所。
ここでグラスを傾け、シガーなどを楽しんだのかもしれません。
お食事は、このお屋敷のダイニングで頂くことになっていました。
ミシシッピ川沿いに面するナッチェス。
このナッチェスは1000年以上もの昔から
ネイティブ・アメリカンのナッチェス族が「王国」を築いていた。
このナッチェスは1000年以上もの昔から
ネイティブ・アメリカンのナッチェス族が「王国」を築いていた。
階級制を持ち定住していたナッチェス族、その上の階級の人の古墳が町の郊外にいくつかある。
そのひとつGrand Village of the Natchez Indiansには古墳と一緒に
当時の生活を再現した家や博物館にはナッチェス族の資料が保管されている。
当時の生活を再現した家や博物館にはナッチェス族の資料が保管されている。
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Louisiana
USA - Mississippi
12. ルイジアナからミシシッピへ
金曜日, 8月 31, 2007Coyote
この日向かったのはミシシッピ州のナッチェスという町。
ラフィエットから約300キロ北東の町。
ラフィエットから約300キロ北東の町。
本来は比較的大きな幹線道路を通って行くはずだったのに
ナビを当てにしたのが間違いだった(汗)
旅行直前にゲットしたナビを使ってスイスイ行く予定だったのに、
朝食を買ったりガソリンを入れたりと車を停めるたびにそれまでのルートと違う案内をする様子。
再設定をすればそこからの最短最速ルートを案内してくれることに気付いたのは
この日のドライブの途中。
ナビを当てにしたのが間違いだった(汗)
旅行直前にゲットしたナビを使ってスイスイ行く予定だったのに、
朝食を買ったりガソリンを入れたりと車を停めるたびにそれまでのルートと違う案内をする様子。
再設定をすればそこからの最短最速ルートを案内してくれることに気付いたのは
この日のドライブの途中。
それでもナビがとんでもない案内をするわけでなく、
州道といえるような道でのんびりドライブすることになった。
州道といえるような道でのんびりドライブすることになった。
こんなのどかな道を走っていく。