◆ 初めての海外旅行 (Jan. 1987)
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USA - California
1987年の旅行が、私にとって初めての海外旅行だったのでが、ロサンゼルス滞在中に何度か不思議な感覚を覚えた。
デジャブ現象とでもいうのだろうか。
初めて訪れたロサンゼルスのはずなのに、いろんな場所で「この光景を見たことがある」というのか、「この場所を知っている」といったような感覚に襲われたことがたびたびあった。
ちょうど、レコード大賞や紅白、年末年始の番組を終えてヴァケーションに芸能人が訪れる時期。
同行者はxxを見かけたとか、xxがいるって聞いた・・・と散々話していたが、私はあまり会っても気づかないだけなのか、芸能人に感心がないのか、殆ど興味なし。
いよいよ、初海外旅行を終えて帰国だ。
ハワイ到着翌日は、午前中のみ同行者みんなでホノルル市内観光。
行く先は定番の観光名所。
行く先は定番の観光名所。
まずはパンチボール。
広~い芝生の国立太平洋記念墓地。訪れた前年の1986年にスペースシャトル・チャレンジャーでの爆発事故で亡くなったオニヅカ大佐もここで眠っています。また、第二次大戦中に欧州戦で勇敢に戦った、日系人だけの部隊である第100歩兵大隊と第442連隊の多くの日系人兵士も埋葬されている。アメリカ人でありながら、パールハーバーを攻撃した日本人の血を受け継いでいるということで、自国からの差別とも戦った戦士たち。そんな勇敢な彼らに敬意を払いながら、ここを訪問。
そしてバブルまっさかりの当時は、海外旅行といえばハワイ・・・というのが定番であったものの、地方住まいの高校生のコヨーテ。当時周囲にハワイへ行ったことがある同級生なんてほんの数人程度。
そんなこともあって、憧れのハワイ、芸能人が好んで行くハワイがとっても楽しみだった。
1月のハワイ。ロサンゼルスも日本ほど寒くはなかったがジャケットを羽織る程度の気温だった。しかしハワイは常夏の島。ホノルル空港はどことなく花の香りが漂い、南国ムードたっぷり。
午後はハワイへの移動。
ということで、あまり時間がないために、ホテル周辺を散歩しながら、近くのMacy'sへお出かけ。今から25年前の高校生なんか、今の高校生と違って出かけても何を買っていいやらわからない。当時はインターネットなんかもないから、日本では手に入らないアメリカのブランドなどという情報なども皆無。
当時 ディズニーランド=遊園地 というイメージを持って訪れたけれど、行ってビックリ!今でこそ、テーマパークなんて言葉があるけれど、まさに通り!
遊園地なんて言ってはいけない、しかも楽しんでいるのは子供ばかりではなく、大人も楽しむ遊園地。そんなイメージを受けた場所だった。
ディズニーのファンじゃないと言いながらも、ミッキーやミニー、ドナルド、グーフィーなどの着ぐるみをみれば駆け寄って写真撮影!
もう、まさにおとぎの国という感じで感激したのを覚えている。
それというのも、アメリカからメキシコへ入国するには出国審査も入国審査もないけれど、アメリカへの入国に関しては入国審査が厳しく行われ、車で入国するにも徒歩で入国するにも、審査にじかんがかかり、この写真のような渋滞を引き起こしていた。
周囲はスペイン語の看板、聞こえてくる言葉もスペイン語。
日本のような島国では、陸続きで回転ドアを超えただけで別の国、そしてその国では全く違う文化・人種・言葉・・・というのがなんだかとても不思議に感じた。
旅行の行程は通常の観光旅行と大差なく、観光名所を案内してくれるものだったが
アメリカに詳しい先生が、普通のガイドさんなんかのありきたりのガイドをするのではなく
キムチ爆弾が爆発した大韓航空の飛行機は、無事にロサンゼルス国際空港へ着陸。
ここでも研修旅行として、それぞれが各自で入国審査や税関などを通過するように指示される。
そういえば、当時は今みたいに観光の際のVWP(ビザ免除プログラム)などはなく、アメリカに観光に訪れる際には、観光ビザの取得が必要だったなぁ~。
私の初めての海外旅行は1987年の1月だった。