オバサマ3人とすでにオバサンの仲間入りをしそうな私の女4人は、
サンノゼから飛行機を乗り換えてラスベガスに向かった。
空港に到着するとラスベガスらしくたくさんのリムジンが空港エントランスに乗り付けており、
知り合いのオバサマは初めてみるリムジンに興味津々。
そんなこともお構いなしにさっさとタクシーに乗り込みホテルに向かった。
宿泊するホテルは あの噴水で有名なBellagio Hotel & Casino Las Vegas。
5年ほど前に母と叔母、そして知り合いのオバサンの3人にせがまれて旅行をしたことがあった。
しかも出発は私の誕生日。
誕生日だというのに
「旅行のことで頭がいっぱい」
「オバサン・トークに夢中で人のことなんかお構いなし」
という具合で母すらそのことを忘れていた。
まあ、この歳になると誕生日なんかめでたくも何ともないし、
お祝いしてもらうってガラでもない・・・
しかも出発は私の誕生日。
誕生日だというのに
「旅行のことで頭がいっぱい」
「オバサン・トークに夢中で人のことなんかお構いなし」
という具合で母すらそのことを忘れていた。
まあ、この歳になると誕生日なんかめでたくも何ともないし、
お祝いしてもらうってガラでもない・・・
成田を夕方に出発し、当時はまだ運行していたアメリカン航空の
NRT-SJC線を利用してラスベガスに入る予定。
サンノゼに朝到着し入国審査を受けるためにオバサン3人と私は
一緒にブースに向かった。
厳しい表情のイミグレ・オフィサーが4人分のパスポートをチェックしていると
私のパスポートを確認しているときに急に手が止まった。
一瞬不安になる私・・・
とにかく楽しく、いろんな経験ができた初一人旅。
一人旅と言うよりも、またもや人の優しさに触れることができた旅だった。
楽しいことしかなかった、いい思い出しか残っていないこの旅もとうとう終わり。
友人ににフレズノの空港まで送ってもらい、またアノ小型プロペラ飛行機に乗って
サンノゼ国際空港へ・・・ 帰りのこの小型飛行機、上空から見るフレズノは
行きにみたフレズノとちょっと違う。いろんな思いを心に納めながら
フレズノ上空を飛んでサンノゼへ。
実際に全米で禁煙ブームが到来したのは1990年後半ではないだろうか?
この禁煙をいち早く取り入れたと言われるカリフォルニア。
当時は公共の場での喫煙に対して厳しくなり始めた・・・その程度のことだった。
当時は公共の場での喫煙に対して厳しくなり始めた・・・その程度のことだった。
アメリカに行っても、いろんなところを観察してしまうコヨーテ。
当時、私はタバコを「もらいタバコ」する程度に吸っていた(笑)
当時、私はタバコを「もらいタバコ」する程度に吸っていた(笑)
カリフォルニアのフレズノからペンパルのいるフロリダまで行くのに
また飛行機を乗り換えて行かなければならない。
早朝の便だったのに寝坊して空港にはギリギリ着いた。
空港に着くなり「ダラス行きファイナル・ボーディング」のお知らせ。
荷物をチェックインするとカウンターで「あとはコヨーテさんだけです!」
チェックインを済ませたとたんに空港には「コヨーテさん、○番ゲートに急いで!!」という
アナウンスが響き渡る。
初めての独り旅は1992年、随分昔だ(笑)
独り旅といっても、実際には独りで飛行機に乗るだけなんだけど。
当時はインターネットなんぞもなく、自分で航空会社のタイムテーブルなんかを取り寄せて
航空券を手配した。
旅行行程は
独り旅といっても、実際には独りで飛行機に乗るだけなんだけど。
当時はインターネットなんぞもなく、自分で航空会社のタイムテーブルなんかを取り寄せて
航空券を手配した。
旅行行程は
カリフォルニア州フレズノ(3日)→ フロリダ州セント・ピータースバーグ(5日)初めての独り旅で大陸横断!
→ カリフォルニア州フレズノ(3日)