グレースランドとはあの『King Of Rock'n Roll』と呼ばれているエルビス・プレスリーの自宅がある場所。今や自宅及び愛車やら自家用飛行機などを一般公開しているテーマパークのようになっている。
エルビス世代の母の希望もあって立ち寄ってみることに・・・
US-61にはところどころにこんな看板も・・・
車がミシシッピからテネシーに入るとと車も多くなり、周りにもお店が立ち並ぶようになった。
通りには寄付を募る人なんかもチラホラ・・・
信号待ちしてる車に近づいてくるんだけど、中にはこんなお洒落な人も・・・
通りには寄付を募る人なんかもチラホラ・・・
信号待ちしてる車に近づいてくるんだけど、中にはこんなお洒落な人も・・・
グレースランドに近づくとこんな通りの名前まで
アメリカではギャンブル(賭博)は組織犯罪の温床となったり、個人の破産、
家庭の崩壊などの深刻な社会問題の発生源と捉えられて一般的には禁止されている。
家庭の崩壊などの深刻な社会問題の発生源と捉えられて一般的には禁止されている。
しかし一定の条件の下で規制を設けて、州の管轄として許可されている。それがカジノである。
ただし先住民族であるアメリカン・インディアンに対しては連邦政府が規制を設けて
先住アメリカ人の部族の自立更生、地域社会の経済振興などのために許可されている。
クラークスデールからUS-61、またの名を「ブルースハイウェイ」を通って向かう。
そこそこ交通量もあるこの道。
ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・
ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・
これぞディープ・サウスだ!と一人で感激。
綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。
車を路肩に停めて写真をパチリ♪
綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。
車を路肩に停めて写真をパチリ♪
コットンボールという名の通り、丸い玉なんですね。
話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。
話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。
この日はまたまたプランテーションに宿泊。
プランテーションの名は「Hopson Plantation」
プランテーションの名は「Hopson Plantation」
プランテーションといって想像するのが豪邸。
でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。
でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。
伝説のクロスロードから南に5マイルほどのところにあるのね。
プランテーション入り口の交差点、一応国道49号線が交わっているんだけど
この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。
ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・
この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。
ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・
で、ホテルがあると思われる住所にたどり着くとこんな建物が・・・
一応「Hopson」って書いてあるところをみると間違えてはいない様子。
フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・
フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・
ブルースと聞いて淡谷のり子とか青江三奈をイメージしないでくださいね!
お年がバレますよ♪
お年がバレますよ♪
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Mississippi
アクシデント/ハプニング/サプライズ
17. 焼け残った後のプランテーション
日曜日, 9月 02, 2007Coyote
1859年から2年の歳月をかけて作られたお屋敷。
ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、
当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、
屋上には天文台まであったという豪邸。
当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。
現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな?
ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、
当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、
屋上には天文台まであったという豪邸。
当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。
現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな?
当時はこんな姿だったみたい。
お屋敷ができた1961年、このオーナーはなんとお屋敷ができた2、3週間後に
34歳という若さで亡くなってしまった。
その後、この屋敷は南北戦争で連合軍に使用され、屋上の天文台は監視に使用されたり、
ポートギブソンの戦いでは病院として利用されたこともあったり。
戦後は地域の集会場としても利用されたり、あのマーク・トゥウェインもこの屋敷に宿泊し
天文台からミシシッピ川を観察したとも言われている。
そして1890年の2月、この屋敷に宿泊していた客の火のついたタバコか葉巻が
大工が残していた大量の木のチップの上に落ちてしまったという。
一説には、チップに火のついたタバコか葉巻を投げ込んだ・・・というものもあるんだけど。
いずれにせよ、そのタバコの火が原因でこのお屋敷は瞬く間に燃えてしまったのだ。
で、現在の姿はこんな状態。