◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Tennessee
アクシデント/ハプニング/サプライズ
35. ナッシュビルは遠かった・・・
水曜日, 9月 05, 2007Coyote
本来は朝早くメンフィスを発って昼過ぎにはナッシュビルに着けるように・・・
と思っていたが公民権運動博物館に寄り、キング牧師のスピーチに酔いしれ、
公民権運動の歴史を学び?そしてキング牧師の死に涙をしているうちに
あっという間に昼近くになってしまった。
と思っていたが公民権運動博物館に寄り、キング牧師のスピーチに酔いしれ、
公民権運動の歴史を学び?そしてキング牧師の死に涙をしているうちに
あっという間に昼近くになってしまった。
メンフィスのダウンタウン外れのちょっと寂しげな場所にあるモーテル。
ノーベル平和賞を受賞し、公民権運動の父とも言われたマーチン・ルーサー・キング・ジュニアが
定宿にしていたモーテル。
黒人というだけで、ダウンタウンにあったホテルには泊まれず
この寂れたエリアにある黒人経営のこのモーテルが定宿だったという。
ノーベル平和賞を受賞し、公民権運動の父とも言われたマーチン・ルーサー・キング・ジュニアが
定宿にしていたモーテル。
黒人というだけで、ダウンタウンにあったホテルには泊まれず
この寂れたエリアにある黒人経営のこのモーテルが定宿だったという。
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Arkansas
USA - Tennessee
32. 今夜もメンフィス名物、BBQリブ!
火曜日, 9月 04, 2007Coyote
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Arkansas
31. Old Mill Park, Little Rock, AR
火曜日, 9月 04, 2007Coyoteこの写真は映画「風と共に去りぬ」のオープニングクレジット。
このオープニングで一瞬だけ映っているこの風車小屋。
この風車小屋がアーカンソー州のリトルロックにあると聞いて足を伸ばしてみた。
ダウンタウンを後にして、リトルロック北部に車を走らせる。
閑静な住宅地、比較的高級な住宅地と思えるエリアを走っていくと
人造湖なのか湖の近くにやってきた。
小雨がパラつくなか、住人と思われる人が犬の散歩をしたり散歩をしている。
そんな様子からするとこの辺りは治安も良い、環境も良いアッパーミドル以上の人たちが
住む住宅地と思える。見た感じ、白人しか見当たらない・・・
そんな住宅地の中にちょっとした公園がある。
雨が降り出していたけれど、その雨がこの公園の雰囲気を
より一層盛り上げてくれていたような気がする。
アメリカ南部に位置するアーカンソー州。
Arkansasと綴るためにアーカンザスと読むのではと思う人もいるが、
この発音方法はアーカンザスにするかアーカンソーにするかで揉め、
1881年の議会で「アーカンソー」と発音することに決まったという。
ちなみに州の名前の由来にもなった州中央部を西から東に流れる川は
アーカンザスと読むという。
アーカンザスの意味は「下流の人々」で、この土地に住んでいた
ネイティブアメリカンのラコタ・クアポー族が他のネイティブアメリカンか
ら呼ばれていたものに由来するらしい。
私はこの校舎の目の前にあるガスステーションの建物に立ち寄ることにした。
ここはセントラル高校のビジターセンター&博物館。
この博物館にはこの高校で起きた『リトルロック危機』と呼ばれる暴動に関しての資料が展示されている。
この博物館にはこの高校で起きた『リトルロック危機』と呼ばれる暴動に関しての資料が展示されている。
クリントン元大統領やマッカーサー元帥の故郷でもあるリトルロック。
別に彼らの熱狂的なファンというわけでないよ~!
実はこのリトルロックに以前から行ってみたい場所があった。
別に彼らの熱狂的なファンというわけでないよ~!
実はこのリトルロックに以前から行ってみたい場所があった。
前回の記事で紹介した『Duck March』を見るために、朝の11時か夕方の5時にホテルにいないといけない・・・
ということで、朝はゆっくり起きてからホテル周辺をちょっとお散歩♪
ホテルを出るとすぐお隣はマイナーリーグのメンフィス・レッドバーズの本拠地
オートゾーン・パークが・・・
オートゾーン・パークが・・・
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Tennessee
エンターテイメント/芸術
26. ピーボディ・ホテルのカモちゃん♪
火曜日, 9月 04, 2007Coyote
ここのマスコットでもあるカモはとっても有名!
ホテルの目の前の歩道にはカモの足跡をモチーフにしたこんなものがあったり・・・
ゲストルームのアメニティにはこんな可愛いカモの石鹸があるのよ~♪
このマスコットのカモちゃんたちは、前の記事でも紹介したように
ピーボディ・ホテルの屋上にあるペントハウスにお住まい。
ピーボディ・ホテルの屋上にあるペントハウスにお住まい。
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Tennessee
ホテル
24. メンフィスの老舗ホテル ~Peabody Hotel~
月曜日, 9月 03, 2007Coyote
以前から「メンフィスに行ったらこのホテルに泊まりたい」と思っていた私。
念願叶ってこのホテルに泊まる事ができた。
念願叶ってこのホテルに泊まる事ができた。
1869年に創業、当時は別の場所にホテルがあり、現在のホテルは1925年に建てられたもの。
メンフィスは綿花の商取引の場でもあり、そして大きな奴隷市場もあったという。
そんな関係でプランターが定宿にしていたのがこのPeabodyだといわれている。
メンフィスは綿花の商取引の場でもあり、そして大きな奴隷市場もあったという。
そんな関係でプランターが定宿にしていたのがこのPeabodyだといわれている。
ブルースの発祥の地、そしてロックンロール、R&Bと音楽が街に溢れている。
それもこの土地自体が長い歴史で黒人と白人が共存している・・・そんな理由からか
いろんなスタイルの音楽がこの町から生まれている。
それもこの土地自体が長い歴史で黒人と白人が共存している・・・そんな理由からか
いろんなスタイルの音楽がこの町から生まれている。
町のなかにはビールストリートという有名な通りがある。
グレースランドとはあの『King Of Rock'n Roll』と呼ばれているエルビス・プレスリーの自宅がある場所。今や自宅及び愛車やら自家用飛行機などを一般公開しているテーマパークのようになっている。
エルビス世代の母の希望もあって立ち寄ってみることに・・・
US-61にはところどころにこんな看板も・・・
車がミシシッピからテネシーに入るとと車も多くなり、周りにもお店が立ち並ぶようになった。
通りには寄付を募る人なんかもチラホラ・・・
信号待ちしてる車に近づいてくるんだけど、中にはこんなお洒落な人も・・・
通りには寄付を募る人なんかもチラホラ・・・
信号待ちしてる車に近づいてくるんだけど、中にはこんなお洒落な人も・・・
グレースランドに近づくとこんな通りの名前まで
アメリカではギャンブル(賭博)は組織犯罪の温床となったり、個人の破産、
家庭の崩壊などの深刻な社会問題の発生源と捉えられて一般的には禁止されている。
家庭の崩壊などの深刻な社会問題の発生源と捉えられて一般的には禁止されている。
しかし一定の条件の下で規制を設けて、州の管轄として許可されている。それがカジノである。
ただし先住民族であるアメリカン・インディアンに対しては連邦政府が規制を設けて
先住アメリカ人の部族の自立更生、地域社会の経済振興などのために許可されている。
クラークスデールからUS-61、またの名を「ブルースハイウェイ」を通って向かう。
そこそこ交通量もあるこの道。
ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・
ミシシッピ州では綿花畑に囲まれ・・・
これぞディープ・サウスだ!と一人で感激。
綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。
車を路肩に停めて写真をパチリ♪
綿花畑に囲まれながらも、実際の綿花を見たことがない私。
車を路肩に停めて写真をパチリ♪
コットンボールという名の通り、丸い玉なんですね。
話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。
話では聞いたり写真等で見たことはあったけれど、実物をみて妙に感動。
この日はまたまたプランテーションに宿泊。
プランテーションの名は「Hopson Plantation」
プランテーションの名は「Hopson Plantation」
プランテーションといって想像するのが豪邸。
でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。
でもここにはギリシャ様式やらビクトリア様式などと言ったような豪邸の姿はない。
伝説のクロスロードから南に5マイルほどのところにあるのね。
プランテーション入り口の交差点、一応国道49号線が交わっているんだけど
この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。
ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・
この景色の方が「悪魔と取引した」交差点に見えなくもないよね。
ところどころに廃屋なのか、納屋なのかこんな建物も・・・
で、ホテルがあると思われる住所にたどり着くとこんな建物が・・・
一応「Hopson」って書いてあるところをみると間違えてはいない様子。
フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・
フロントと思わしきところに入るとそこはガラクタ屋敷のよう・・・
ブルースと聞いて淡谷のり子とか青江三奈をイメージしないでくださいね!
お年がバレますよ♪
お年がバレますよ♪
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Mississippi
アクシデント/ハプニング/サプライズ
17. 焼け残った後のプランテーション
日曜日, 9月 02, 2007Coyote
1859年から2年の歳月をかけて作られたお屋敷。
ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、
当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、
屋上には天文台まであったという豪邸。
当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。
現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな?
ギリシャ神殿風の建物で25以上もの部屋を持ち、
当時では珍しく屋根にタンクを設けて屋敷内に水を供給するシステムまで備え、
屋上には天文台まであったという豪邸。
当時、この屋敷の建設には175,000ドルもの費用がかかったらしい。
現在の価格にして350万ドル、日本円で4億円程度かな?
当時はこんな姿だったみたい。
お屋敷ができた1961年、このオーナーはなんとお屋敷ができた2、3週間後に
34歳という若さで亡くなってしまった。
その後、この屋敷は南北戦争で連合軍に使用され、屋上の天文台は監視に使用されたり、
ポートギブソンの戦いでは病院として利用されたこともあったり。
戦後は地域の集会場としても利用されたり、あのマーク・トゥウェインもこの屋敷に宿泊し
天文台からミシシッピ川を観察したとも言われている。
そして1890年の2月、この屋敷に宿泊していた客の火のついたタバコか葉巻が
大工が残していた大量の木のチップの上に落ちてしまったという。
一説には、チップに火のついたタバコか葉巻を投げ込んだ・・・というものもあるんだけど。
いずれにせよ、そのタバコの火が原因でこのお屋敷は瞬く間に燃えてしまったのだ。
で、現在の姿はこんな状態。
約400キロの道のり、寄り道しながらドライブです。
まずナッチェスを出ると、そこからテネシー州ナッシュビルまで続くナッチェス・トレース・パークウェイ 全長710キロのこの道、18世紀ごろの南部の重要な旧街道だった道。それを国立公園局が管理し、自動車専用道路を作り2005年に全線開通したという。
片道1車線の道は、沿道に一切民家もなくお店なんかもない。
もちろんガスステーションなんかもないから、必要になれば所々にある町へ通じるジャンクションで一旦町へ出ないとならない。
もちろんガスステーションなんかもないから、必要になれば所々にある町へ通じるジャンクションで一旦町へ出ないとならない。
それでもトウモロコシ畑や綿花畑がちらほらあったり、広々とした草原があったり、湿地帯があったり、森の中のような林の中を抜ける・・・そんな景色はドライブしていても気持ちがいい。
ツアーバスやトラックの進入が禁止されているために、のんびりドライブ♪
ツアーバスやトラックの進入が禁止されているために、のんびりドライブ♪
のどかでしょ~~!?
この道沿いには、ネイティブ・アメリカンのナッチェス族の古墳があったり
6時過ぎになると宿泊者がバーに・・・
バーと称したお部屋は、このお屋敷で実際に使用されたバーエリア。
この時代、殿方たちの社交の場ともいえる場所。
ここでグラスを傾け、シガーなどを楽しんだのかもしれません。
バーと称したお部屋は、このお屋敷で実際に使用されたバーエリア。
この時代、殿方たちの社交の場ともいえる場所。
ここでグラスを傾け、シガーなどを楽しんだのかもしれません。
お食事は、このお屋敷のダイニングで頂くことになっていました。
ミシシッピ州のナッチェスではまたもやプランテーションに宿泊してしまいました~!
Natchezというミシシッピー州にあるミシシッピー河畔の町。
ミシシッピ川といえば氾濫でこの地域の人たちを悩ましていた。
しかしアメリカ人にとってはこのミシシッピ川は重要な水路として栄え、
人の輸送だけでなく、南部で取れた綿花・タバコ・サトウキビなどの作物を
北のシカゴなどの大都市へ運ぶ重要な輸送路でもあった。
ミシシッピ川といえば氾濫でこの地域の人たちを悩ましていた。
しかしアメリカ人にとってはこのミシシッピ川は重要な水路として栄え、
人の輸送だけでなく、南部で取れた綿花・タバコ・サトウキビなどの作物を
北のシカゴなどの大都市へ運ぶ重要な輸送路でもあった。
ミシシッピ川沿いに面するナッチェス。
このナッチェスは1000年以上もの昔から
ネイティブ・アメリカンのナッチェス族が「王国」を築いていた。
このナッチェスは1000年以上もの昔から
ネイティブ・アメリカンのナッチェス族が「王国」を築いていた。
階級制を持ち定住していたナッチェス族、その上の階級の人の古墳が町の郊外にいくつかある。
そのひとつGrand Village of the Natchez Indiansには古墳と一緒に
当時の生活を再現した家や博物館にはナッチェス族の資料が保管されている。
当時の生活を再現した家や博物館にはナッチェス族の資料が保管されている。
◆ 音楽・食を楽しむアメリカ南部 (Sep. 2007)
USA - Louisiana
USA - Mississippi
12. ルイジアナからミシシッピへ
金曜日, 8月 31, 2007Coyote
この日向かったのはミシシッピ州のナッチェスという町。
ラフィエットから約300キロ北東の町。
ラフィエットから約300キロ北東の町。
本来は比較的大きな幹線道路を通って行くはずだったのに
ナビを当てにしたのが間違いだった(汗)
旅行直前にゲットしたナビを使ってスイスイ行く予定だったのに、
朝食を買ったりガソリンを入れたりと車を停めるたびにそれまでのルートと違う案内をする様子。
再設定をすればそこからの最短最速ルートを案内してくれることに気付いたのは
この日のドライブの途中。
ナビを当てにしたのが間違いだった(汗)
旅行直前にゲットしたナビを使ってスイスイ行く予定だったのに、
朝食を買ったりガソリンを入れたりと車を停めるたびにそれまでのルートと違う案内をする様子。
再設定をすればそこからの最短最速ルートを案内してくれることに気付いたのは
この日のドライブの途中。
それでもナビがとんでもない案内をするわけでなく、
州道といえるような道でのんびりドライブすることになった。
州道といえるような道でのんびりドライブすることになった。
こんなのどかな道を走っていく。
ケイジャンとは17世紀初頭、フランスから新大陸に渡ってきた人たちの子孫。当時身分差別のあったフランスで貧しい農民生活をしていた彼らが本国を飛び出しカナダに渡った。新天地での新しい生活で自由と富を得ようとしていた彼らはその土地をパラダイスという意味の「L'Acadie(ル・アカディー)」と呼び、その住民である自分たちを「Acadian(アケーディアン)」と呼んだ。
(ケイジャンはアケーディアンが訛ったもの) しかし18世紀半ば、その土地がイギリスの植民地となり、フランス語を話しカトリックを信仰していた彼らはカナダを追放されたという。追放され本国に戻っても彼らは既にフランス本国とは別の言語、習慣を持ち合わせフランス人としてもとの暮らしをすることは難しかしく、本国でも受け入れられなかったという。 カナダに残った人たちは虐殺され、生き残った彼等がたどり着いたのが当時スペイン領だったルイジアナに漂着することになる。 農村出身の彼等の先祖。勤勉で働き者、カナダで漁をして過ごしてきた彼らは漁師としてルイジアナに入った。 このアケーディアン(ケイジャン)は、ルイジアナでも決して裕福な暮らしが出来たわけではない。マイノリティーならではの差別もあり、また文化・料理・音楽など独自の文化を持っている彼等。 しかしその一方で黒人や先住民族を受け入れコミュニティーで一緒に生活もしたり、結婚も受け入れられていたという。そのせいかもともと訛りの強かった彼らのフランス語は更に変化し、先祖のフランスのケベック訛りや黒人たちのハイチ訛り先住民の語彙や英語の語彙が混ざり独自の彼等の言葉を形成している。
そんなケイジャンの首都とも言うべき場所がこのラフィエットと言うわけ。
町にはこの苦難の歴史を持ち、民族の帰属意識や誇りが高い彼等に関する見所が点在する。
まずはバーミリオン・ミル。
天気予報では雷雨と言われ、空には雷雲も見られるものの私の頭上はこんな感じ。
この一帯はアメリカ最大の湿地帯がある。
アチャファラヤ川の河口からメキシコ湾に広がる一帯を
Atchafalaya Basin(アチャファラヤ・ベイスン)とかスワンプと呼ばれる。
アチャファラヤ川の河口からメキシコ湾に広がる一帯を
Atchafalaya Basin(アチャファラヤ・ベイスン)とかスワンプと呼ばれる。
ディナーは敷地内にある別棟のレストランで頂くことにした。
夜になるとあたりは真っ暗。敷地も広いせいもあってか、
周囲にレストランなどがあるかどうかもわからないし、
せっかくここに来たのならお食事もここのレストランで頂くことしにした。
レストランは母屋とは庭を挟んだ別棟にある。
当時は大きなパーティーなどが催されたりしたRandolf's Hallと呼ばれる場所だった。
天井には明かり取りの大きな窓がついて開放感ある素敵なフロア。
食事はクレオール料理。南部旅行の楽しみはなんと言っても食事!
アメリカにはそれぞれその土地特有の料理が実はある。
ここ南部にはたくさんの美味しいお料理がたくさんある。
クレオール料理は、ルイジアナ州大ニューオーリンズ(New Orleans metropolitan area)地域を中心とする、独特の料理のスタイルである。フランス、スペイン、フランス領アンティル、西アフリカ、そして南北アメリカの食文化の影響が混合されており、イタリア料理の特徴も備えている。「聖なる三位一体」("Holy Trinity"、料理のベースとなる、タマネギ、セロリ、ピーマンを炒めたもの)や使用する食材はケイジャン料理と漠然と似ており、ガンボやジャンバラヤなどの料理は両者に共通している。重要な差異は、ケイジャン料理が田舎風フランス料理の元となったアカディア人の料理にルイジアナの土着の食材を適合させたのに対して、ルイジアナのクレオール の料理は地元の食材をベースにさらに古典的なヨーロッパのスタイルへ向かった点である。その主な原因として、大規模追放以前からすでにアカディアとフランスとの繋がりが希薄になっていたのに対し、ニューオーリンズはフランスとの関係をより長く保っていたこと、またイタリア人などのヨーロッパからの新移民は大都市から隔絶したアケイディアナよりも都市部であるニューオーリンズに定住することを好んだこと、基本的にケイジャン料理が田舎の自給自足の環境で発展したのに対し、クレオール料理は富裕階級の庇護のもとに洗練された都市文化の産物であったこと、などが挙げられる。wikipediaより
こちらはエトフィーと呼ばれる煮込み料理。
クレオールながらのスパイスがたっぷり入ったもの。
私がオーダーしたエトフィーには南部ながらの「ナマズ」と「ザリガニ」そして「エビ」が
たっぷり入っていた。
濃厚な味わいで美味しかったけれど、なにせ長旅の後で胃が働いていないこともあり
残念ながら半分ほどしか食べられなかった。
あとはカップのガンボを注文。
ガンボはお店や家庭で味が違う、まさに南部のお袋の味とも言うべきものだろうか?
ノットウェイのガンボは比較的上品な味。
こちらにはアンドゥイユなどのソーセージやオクラ、ザリガニが入っており、
スパイスたっぷりながらもホッとする味。
翌朝は宿泊料金に含まれている朝食を・・・
朝食は母屋にある当時は子供たちのボウリング場と使用されていた場所で食べる。
現在は小さなバンケットスペースとして活用されているという。
朝食はトースト、ベーコン、目玉焼き、ワッフルにグリッツ。
アメリカ人の朝食にしてはかなりボリュームがあるのが南部の朝食。
パンケーキ、フレンチトースト、ワッフル、ビスケットなど選択肢が多いのも南部の特徴。
アメリカ人の食事というとパンケーキにソーセージや卵料理をイメージする人も多いけれど、
現代のアメリカ人の日常はシリアルやトーストにジュースやコーヒーと簡単に済ませる人が多い。
しかしもともと農耕民族に属する南部の人たちは、
朝一汗かいて食後の仕事に精を出すためにもボリュームのある食事をしていたといわれ、
今でもその習慣がのこっているのか、しっかり食事をとる人も多く、
また町のダイニングでも南部の朝食を提供するところに朝から多くの人が訪れている。
グリッツはコーンミルのお粥のようなオートミールのようなもの。
コーン特有のプツプツとした食感がたまらなく、私はこのグリッツが結構好き。
ノットウェイのスタッフはすごくフレンドリーで温かい人たち。
古い屋敷を当時のまま保存するのは容易ではないだろう。
沢山の庭師やメンテナンスなどのために多くの人が敷地内で働いている。
こんな豪邸に宿泊したものの、なんだか自分の家のようなもてなしをしてくれる。
とても気分よく過ごせたけれど、次回は最低2泊ぐらいしてゆっくり寛ぎたい。
Nottway Plantation Restaurant & Inn
1-866-527-6884
30970 Highway 405
White Castle, LA 70788
http://www.nottoway.com/