この日の夜は10:30から12:00までプールサイドでDessert Extravaganzaが行われた。 10:30から30分間は写真撮影タイム。 ということで、プールサイドに綺麗に飾り付けられたデザートたちをご紹介! 入り口にはオランダの水車のアイスカービング。 ...
さてさて、3週間に渡る中南米クルーズもあと少しとなってしまった。 いよいよカラオ港出港。 出港時にはリドプールサイドでSail Away BBQ。 ...
ジャンさんが「いいものを見せてあげる」と連れて行ってくれたのが、海岸沿いの公園。 綺麗なグリーンの芝生に人々が寝転がったり、犬を散歩させたりしている公園だが そこで目にしたのは・・・ そして・・・ ナスカの地上絵をモチーフに芝生に模様をいれていた。 「ナスカまでは案内できないけれど、ちょっとだけナスカを体感できたでしょ?」 とジャンさん。 ちなみにジャンさんはペルー人ではあるけれど、ナスカにもマチュピチュにも 行ったことがないという。 ...
お次に案内してもらったのは、ラファエル・ラルコ・エレラ博物館。 18世紀にスペイン人の貴族の邸宅として造られたところに、 ペルーの古代文明の研究者であるラファエル・ラルコ氏が個人で収集したものを展示している。 邸宅というだけあって、中庭には花が咲き緩やかなスロープをあがると博物館の入り口がある。 なんとここは7世紀のものと言われるプレ・インカ時代のピラミッドの上に建てられているとか・・・ 博物館には、チムー、ナスカ、モチェなど各時代の土器や黄金などが多数展示され、 しかも展示品でない収蔵品の倉庫まで公開されている。 ...

ワンチャコ海岸を後にした私達は、トルヒーリョの街中を通って港まで帰ることにした。 トルヒーリョの街の名は、ペルーを征服したスペイン人のピサロの故郷の名からつけられたという。 スペインに統治されていた街は必ずと言っていいほど、街の中心にプラザと呼ばれる広場があり、 その広場を囲むように街が形成されている。 ここトルヒーリョもアルマス広場(Plaza de Armas)が街の中心部にあった。 このトルヒーリョの広場はペルーで一番大きいとのこと。 地図を見るとアルマス広場と呼ばれるプラザが、ペルーのあちこちの都市で見つけることができる。 アルマスとはスペイン語で<兵器>を意味し、植民地時代に攻撃に備えて兵士達が 待機していたり、有事の際は市民の避難所として利用されることから アルマス広場と名づけられたとか・・・だから同じ名前の広場がどの土地にもあるのかもしれない。 ...
★Cruise - HAL/Veendam (2009)
Costa Rica
36. Rainforest Aerial Tram of the Pacific
月曜日, 11月 09, 2009Coyote 11月9日、クルーズ10日目、7ヵ所目の寄港地はコスタリカのプエルト・カルデラ・・・ のはずだった。 しかしプエルト・カルデラの桟橋が空いていない(not a berth available)ために接岸は プンタレナスに変更になったと連絡があった。 幸いにもプンタレナスはカルデラから20キロほど北に位置しているだけだから、 個人手配のツアー参加者も、船主催のツアー参加者もそれほどのインパクトはなかった。 港につくと桟橋には船主催のツアーバスが既に並んでいた。 桟橋の先にあるゲートの外にはお土産を売る露店が並び、ツアーやタクシーの呼び込みもいる。 船から桟橋のゲートまでは数百メートル、その間をシャトルバスが行き来している。 ...
スペインの植民地そして独立、独立後の政治的な混乱、内戦、アメリカの介入と 波乱の歴史を刻んできたニカラグア。 1936年から1979年の43年間はソモサが親子三代で政治と国家を支配し、 私物化し、独裁政権を牛耳っていた時代。 外国から送られてくる物資や金もソモサ一家と関連企業が着服し、 不満を募らせた市民から学生運動や革命への動きが活発になれば国家警察を投じたり、 反政府活動家の暗殺を企てたりとやりたい放題していたという。 タクシーのドライバーのYervingがそんな歴史を説明しながら、町の一角に案内してくれた。 1959年7月23日、その1ヶ月前の6月22日にこの町で起きた暴動と その際国家警察に連行された学生たちの開放を求めて、レオンの町にある 国立自治大学の学生たちが集まっていた。 その中には大学生ばかりでなく、高校生までも含まれていたという。 彼らは町のある通りにおとなしく座り込みをしていただけだったが、 そこへ国家警察が乗り込みライフル銃を放ち4人が殺され、43名が負傷したという。 その光景が「忘れてはいけない歴史」として壁画に描かれていた。 そして同じ通りには、そのときに殺されてしまった4人の学生の顔が描かれたものが・・・ ソモサ王朝時代はこんなことが全国各地でおきていたという。 政府に反対するものは構わず排除。 ソモサの力を見せつけ国民を弾圧する。 しかしその王朝を築いた大統領アナスタシオ・ソモサ・ガルシアは1956年、 選挙キャンペーンで訪れたこのレオンの町で暗殺されるが、 暗殺後も長男・次男が続いて大統領になり、ソモサ家の独裁政権は続いた。 当時ニカラグアの国内総生産の約半分はソモサ一家の系列企業やなどで 独占していたというのだから、その独裁ぶり、国家の私物化は半端ではない。 ソモサ王朝が崩壊した後も、内戦・政治的混乱が続くニカラグア。 反ソモサのサンディニスタ党首だったオルテガ大統領が数年前16年ぶり再選を果たしたが、 この先はどうなることだろう? ただ混乱が続くニカラグアと聞いて、もっと治安が悪く危ないイメージで訪れたレオンだったが、 まだまだ途上国ではあるが観光するにはとっても魅力ある国にも思えた。 クルーズ関連の人気ブログの検索は からどうぞ! ...