アメリカで人種差別が酷かったディープサウスの中でも、相当な差別が行われていたアラバマ。
1955年、このアラバマ州モンゴメリーで公民権運動の発端になったとも言うべき事件がおきた。
この当時、長年州知事を務めていたのはジョージ・ウォレス。
KKKや保守系の地元有力者からの票集めのために人種差別を
貫くことを公約にまでして当選した男。
知事自ら差別主義者だということから、この地域の差別が相当なものであったことは間違いない。
この当時、長年州知事を務めていたのはジョージ・ウォレス。
KKKや保守系の地元有力者からの票集めのために人種差別を
貫くことを公約にまでして当選した男。
知事自ら差別主義者だということから、この地域の差別が相当なものであったことは間違いない。
隔離されていた時代のバス |
12月1日、黒人女性のローザ・パークスは仕事の帰りいつものようにバスに乗り込み
帰宅しようとしていた。
当時、この地域ではトイレやレストラン、全ての公共エリアでは
白人と有色人との隔離がなされていた。彼女が乗り込んだバスも、
後方の数列のみが黒人専用席。次第にバスが混み出してくると、
バスの運転手は黒人に席を立ち白人に席を譲るよう命令した。
黒人地位向上委員会(NAACP)のメンバーでもあった彼女は
このような差別に対し常に矛盾を感じ憤慨していた。
帰宅しようとしていた。
当時、この地域ではトイレやレストラン、全ての公共エリアでは
白人と有色人との隔離がなされていた。彼女が乗り込んだバスも、
後方の数列のみが黒人専用席。次第にバスが混み出してくると、
バスの運転手は黒人に席を立ち白人に席を譲るよう命令した。
黒人地位向上委員会(NAACP)のメンバーでもあった彼女は
このような差別に対し常に矛盾を感じ憤慨していた。
そんな彼女は運転手の命令に従わずそのまま席に座っていた。
再度運転手から命令をされるものの、彼女は動かず・・・
「警察を呼ぶぞ!」という運転手の言葉にも「けっこうです」と答えた。
再度運転手から命令をされるものの、彼女は動かず・・・
「警察を呼ぶぞ!」という運転手の言葉にも「けっこうです」と答えた。
運転手はバスを停めて電話で警察を呼び、ローザ・パークスはその場で逮捕された・・・
この光景を再現したものがモンゴメリーのローザ・パークス博物館で目にすることができる。
博物館に入るとまず当時の状況を説明しているビデオを見せられる。
それが終わると別室に通される。
それが終わると別室に通される。
薄暗い展示室の中に、浮き上がるかのように当時のバスが置かれている。
バスの横に立っていると、そのバスに影絵のような感じで映像が映し出され
このローザ・パークスがバスで席を譲らず逮捕される一部始終が再現される。
人がバスに乗り込み、席を譲る。運転手が黒人に向かって席を譲るよう伝え・・・
実際に人が乗り込んでいるような錯覚を覚え、実際に自分が当時のその場にいるような感じ。。。
バスの横に立っていると、そのバスに影絵のような感じで映像が映し出され
このローザ・パークスがバスで席を譲らず逮捕される一部始終が再現される。
人がバスに乗り込み、席を譲る。運転手が黒人に向かって席を譲るよう伝え・・・
実際に人が乗り込んでいるような錯覚を覚え、実際に自分が当時のその場にいるような感じ。。。
この逮捕で、モンゴメリーの黒人有力者、権力者、長老、聖職者、NAACPの役員などが集まり、
ローザ・パークスの裁判までの1日、バスの乗車拒否を決議し、モンゴメリー中の黒人に呼びかけた。当時、バスを利用する75%が黒人。ローザ・パー クスは罰金刑を受けることになったのだが、連邦最高裁まで控訴することを決めバス・ボイコット運動は無期限で延長することになった。
ローザ・パークスの裁判までの1日、バスの乗車拒否を決議し、モンゴメリー中の黒人に呼びかけた。当時、バスを利用する75%が黒人。ローザ・パー クスは罰金刑を受けることになったのだが、連邦最高裁まで控訴することを決めバス・ボイコット運動は無期限で延長することになった。
ボイコットした黒人たちは、どんなに遠い場所にでも歩いて行ったり、町の中心部には
車を持っている黒人が集まりボランティアで車を出して人を乗せあった。
白人の中にもそれらに協力する人もいたとか・・・
車を持っている黒人が集まりボランティアで車を出して人を乗せあった。
白人の中にもそれらに協力する人もいたとか・・・
町を走るバスは空っぽ同然。バス会社へのダメージも相当なものだっただろう。
この運動の1年後、とうとう「バスでの人種差別は違憲」という判決を受け
隔離席などが撤廃された。ボイコット運動はそれまで続けられていた。
これが有名な「バス・ボイコット運動」
実は、この運動の代表だったのが当時モンゴメリーのバプティスト教会に赴任したばかりの
隔離席などが撤廃された。ボイコット運動はそれまで続けられていた。
これが有名な「バス・ボイコット運動」
実は、この運動の代表だったのが当時モンゴメリーのバプティスト教会に赴任したばかりの
キング牧師だった。この時のキング牧師は全くの無名。彼が代表に選ばれたのは、この土地とは何の縁もゆかりもなく、赴任してきたばかりで友人・知人もいなくしがらみがないというのが一番の理由だったという。また当時の指導者の中には、もしもこの運動が失敗してもキング牧師ならアトランタの
教会に戻れるが地元の人間では逃げ場がないとの理由からも、土地と縁がないキング牧師を
選んだ理由でもあったようす・・・
教会に戻れるが地元の人間では逃げ場がないとの理由からも、土地と縁がないキング牧師を
選んだ理由でもあったようす・・・
誰も知らない、そして知名度も全くない若い赴任して来たばかりのキング牧師。突然の代表者指名の直後、ボイコット運動決起集会にて初めてのスピーチにたった。
我々は信心深いクリスチャンとして行動する。 K.K.K.のようにバス停で十字架を燃やしたり、 頭巾をかぶった黒人が非協力的な白人を家から引きずり出したりしない。 私たちは合法的に抗議する。私たちは間違っていない。 私たちが間違っているなら、最高裁が間違っている。 私たちが間違っているなら、憲法が間違っている。 私たちが間違っているなら、全能の神が間違っている
このようなスピートをしたという。
名もなき若い牧師のこのスピーチに、聴衆ばかりか
モンゴメリーの長老・聖職者までが感銘を受けたという。
名もなき若い牧師のこのスピーチに、聴衆ばかりか
モンゴメリーの長老・聖職者までが感銘を受けたという。
これが公民権運動の発端となり、そして偉大なるキング牧師の
非暴力で戦う活動の第一歩だった。
非暴力で戦う活動の第一歩だった。
モンゴメリー、意外に知られていない場所だけど
公民権運動とは深い関わりのある町。
旅行の途中とはいえ、こういう機会に立ち寄ることができたのは嬉しかった。
公民権運動とは深い関わりのある町。
旅行の途中とはいえ、こういう機会に立ち寄ることができたのは嬉しかった。
(追記)
ウーピー・ゴールドバーグ主演のThe Long Walk Home という映画。
このバス・ボイコット事件を背景にしたストーリー。
興味がある人は是非ご覧ください。
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