ハリファックスの港からダウンタウンを抜け時計台のある丘の上には
街の四方を見渡せる要塞がある。これがハリファックス・シタデル。
前日に寄港したシドニー近郊にある、ルイスバーグ砦とケベックから攻め込むフランス軍に
対抗するために、イギリスが軍事基地として1749年に建てたもの。
現在の城塞は、1956年にアメリカ軍からの攻撃に備えて完成したものと言われている。
今、この町はイギリス色が色濃く残り、町の建造物もイギリス風のゴシックスタイルや
ビクトリアン様式のものを多く見かけるが、実はこの地域もケベックと同様に
イギリスとフランスの領地争いに巻き込まれ、とても悲しい歴史があることを忘れてはいけない。
もともとこの地域は最初にフランスが進出し、当時はこの土地を「アカディア」と呼ばれていた。北はセントローレンス湾、南はニューイングランドに繋がる戦略上重要なポイントになることから、フランスとイギリスの間で争奪戦が繰り広げられていた。
イギリスがこの土地を征服したとき、支配者であるイギリスは、フランス語を話すカトリック教徒である初期にカナダから入植したフランス人(アカディアン)に英国王への忠誠を宣誓することを強要した。
しかし、アカディアンは「もはや自分達はフランス人でもイギリス人でもない」と主張し宣誓を拒否をしたことで、イギリスはとうとうアカディアンをこの土地から「強制追放」したのだ。各地の村から7000人ものアカディアンが輸送船で強制追放され、彼らの家屋は放火された。
このアカディアンたちは、フランスの貧しい農村地から移住してきた人たち。既にこの土地で長く暮らすことで生活習慣や言葉にも変化が現れ、フランスに戻っても生活に馴染めずにいた。
住む土地を追われ迫害されてしまったアカディアンの一部は、その後フランス領であったアメリカのルイジアナ州に移る。貧しく特殊なフランス語を話す彼らは、アメリカでも黒人の奴隷同様の扱いを受け、ここでも生活に馴染めず、ニューオリンズ近郊のラフィエットにアカディアンの村を形成した。自分達が迫害を受けたこともあり、奴隷やネイティブ・アメリカンなど自分達と同様に差別される人たちを、例え民族が違っても村に受け入れたという。
2007年にアメリカ南部を旅行したときにこのアカディアンの歴史を調べていた。
そしてアカディアンの村があるルイジアナ州のラフィエットにも行ってみた。
今でも本来のフランス語と程遠い、アカディアン語を話す人たち。
同じフランス系が多くいたルイジアナ州で、同じ民族からも差別され祖国であるはずの
フランスにも戻ることができず、全く知らない土地で農業や漁業で生活を支えてきたアカディアン。
住む場所が変わっても、彼らは信仰を捨てず、文化や習慣を守ってきた彼ら。
ラフィエットで出会ったアカディアンのおじさんから、アカディアン語訛りの英語でこの歴史を聞かされた。
ルイジアナに渡ったアカディアン(ケイジャン)とニューイングランドに残ったアカディアン、
この点と線が繋がった気分だったが、改めて悲惨な歴史の事実を再確認させられた。
この歴史は残酷で非人道的だと言われ、世界にも衝撃を与えたというにも関わらず、
この歴史の後にホロコーストでユダヤ人が同じように迫害され、
それ以降も人種・民族・宗教などの違いから起きる戦争や迫害、差別・・・
過ちから学ぶことどころか、同じ過ちを繰り返す私たち人間。なんだかいろいろ考えさせられる。
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